教育福島0053号(1980年(S55)08月)-029page
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随想
きびしさと画一
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根本進雄
給食の盛りつけが始まった。給食当番が先をあらそうようにして、担任である私のところに持って来たバットを見ると、食器にはご飯が山盛り、そして副食物も。胃があまり丈夫でなく、どちらかといえば小食である私にはゆうに二食分はある。子供たちのものを見ると、どの食器にも八分目。
四年ぶりに完全給食を実施している学校に赴任したので、米飯給食は初めてである。六年生であり、米飯給食については彼らの方が先輩でもあると思い、特に指導もせず彼らの仕事ぶりを見守っていた。
「先生だけがこんなに多く、どうしたんだ」
「先生は大人だから」
という返事。初めて担任される教師への大きな期待が、この山盛りとなってあらわれたわけである。昨年の四月のことであった。
そしてそれから二か月、どうしたことか盛りつけが終わっても、担任である私のところには配膳されない日が続くようになった。それでも子供のなかには「先生のは?」「先生のところがないよ」などとささやく者もいて、給食当番がしぶしぶ運んでくる始末。量もめっきり少なくなってしまった。お汁などは最後によそったもので、味噌カスばかりの日もあり、そのうちだれも運んでこなくなってしまった。食べ物のことでもあり、教師だからといって自分からいうのもどうかと思って、しかたなく自分で運んでくるよりほかなくなってしまった。そんなある日、給食当番になったK子がめずらしくバットを運んで来た。見ると食器の底にご飯が二口か三口。
「どうして先生だけがこんなに少ないんだ」
「先生はにくたらしいから」
K子は級友同志の対人関係ではかなり他を意識し、付和雷同する傾向さえみられるが、しんは強く、特に権力に対してはよく反抗する。クラス全員の気持ちを代弁しこの挙に出たのである。思えば私は有頂天になっていた。家庭訪間の折りの“きびしくしつけてほしい”という父兄の言葉を、男子教師である私への期待と受けとめ、“よしきびしく鍛えてやろう”と意気込んだがそのきびしさが問題だった。中学校、それも比較的都市部の中学校からきた私の目には、農村地帯にある、全児童数二百名そこそこのこの小学校の子供たちのやぼったさ、幼稚さ、礼儀をわきまえぬ言動のみが目につき、また授業中のよそ見、私語、手わすらなどちょっとしたことでもだれかれの区別なく、個人の感受性の差など無視して大声で注意し、さらに朝や帰りの相談会や反省会などでも、一方的な連絡や説教で終わっていたのである。懇切ていねいな、そして一人一人のペースに合わせた授業をうけ、学習してきた彼らにとって、私の一方的なおしつけ注入の授業には耐えられず、また画一的な型にはめこまれることへの不平不満がやがて憎悪となり、“先生はにくたらしい”という言葉となり、ご飯は食器の底にほんのちょっぴりとなってあらわれたわけである。一度こじれた子供たちとの関係の修復は容易でない。その後この関係の改善にはかなりの努力を要した。
今年は四年生担任である。純農村の特色の強い子ばかりであるが、やぼったさを素朴さと、幼稚を無邪気と、礼儀をわきまえぬ言動を人なつこさと受けとめ、“きびしさ”と“画一”を区別し、のびのびした学校生活のなかにも、人間としての基本的な行動様式だけは身につけさせるべく努力している昨今である。
(塙町立笹原小学校教諭)
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