教育福島0053号(1980年(S55)08月)-030page
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随想
寄宿生とともに
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藤川整一
朝、五時三十分、静まりかえっている廊下を遠慮がちに歩く、賄いのおばさんの足音に深い眠りから目ざめる。「もう朝か」と思いながらも、ウトウトしていると、「ジジー」とけたたましい音に朝の静寂が破られる。
六時、各部屋の目覚し時計が一斉に鳴り出したのである。
布団をたたむ音、「早く起きろ」とどなる声、清掃当番の窓を開ける音、洗面所の水の音、「おはよう」の元気なあいさつなどの騒音に、我が家の長女も眠い目をこすりながら起き出す。
寄宿舎生活のあわただしい一日の始まりである。
六時五十分、「いただきます」の声と同時にハシが動き出す。
一校時、三年生の社会の授業。S子眠そうな顔、そういえば昨夜は遅くまで一人で勉強していた。質問してみる。昨日は答えられなかったが、今日は、自信をもって答えられた。
A男の方を見ると、元気がなさそうだ。風邪ぎみだと言っていたが、まだよくなっていないのだろう。今夜は、早く寝かせなければならない。
午後四時、賄いのおばさんの仕事開始である。五時二十分、一、二年生部活動を終えて帰舎、女子配膳の手伝い。
五時四十分、三年生課外を終えて帰舎、六時、楽しい夕食。食欲おう盛なのには驚く。大きな釜いっぱいのご飯がたちまちからっぽ。
七時三十分まで自由時間、一日の中一で一番のんびりできる楽しいひとときである。七時三十分から勉強の時間、九時三十分、休憩。女子が交代でお茶を用意したりする。十時、就寝。
三年生は、自分の計画に十二時ごろまで取り組んでいる。
十二時をまわったころ、舎監として火気、戸締りの再点検、各部屋を見回り、今日も一日、事故のなかったことにホッとしながら床に入る。
これが寄宿舎の一日の生活である。
今年で四年目であったが、初めのころは、壁一つ隔てただけの、何でも筒抜けにわかってしまうこの生活に、神経を使い、家に帰っても気の休まるところではなかった。土曜日になるのが待ち遠しいものだった。
しかし、十一月から三月までの約五か月間、一つ屋根の下で寝食をともにしてふれあい、ほんとうの子供の姿を見ることができた。
最近の子供の特徴として、集団生活に不適応、あきやすい、年上の人に尊敬の念がないなどとよくいわれるが、山村の子供も例外ではなく、集団生活に不適応な子供、わがままで友達と争いの絶えない子、規則を守れず生活を混乱させる子、あいさつもできない子などいるが、集団生活をしていく中で自己の立場を理解し、他人に迷惑をかけず互いに信頼し、協力しあっていくことの大切さを学びとっていくようである。
子供にとって、ここでの生活は、今後の人生において大きな影響を与えるだろうと考えるとき、そして寄宿舎生活を経験し、社会に巣立っていった子供たちからの「楽しい寮生活を続けています。友達の中には、寮生活になじめないでやめていく人もいるのです」という便りを見るにつけ、交通機関の発達、冬もあまり雪の降らない土地でもあり、中学生の大事な時だけに親元で生活させるのが望ましいと思いながらも、舎監としての責任の重さを痛切に感ぜずにはいられない。
私にとっても、ここでの生活は、貴重な人生経験であり、授業や部活動を通してだけの指導では得られない、なにかを体験できたようだ。
(いわき市立田人中学校教諭)
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夕食後のひととき
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