教育福島0053号(1980年(S55)08月)-031page
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随想
公一くん
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白岩信博
公一は英語がニガ手だ。英語アレルギーに近い。横文字を見ると吐き気がする。テレビも外国映画はあんまり見ないとか。
「公一くんよ、あのなあ、外国じゃこんなちっちゃい、ひとりでションベンもできんような子供でもな、ペラペラ英語しゃべるんだってさ」
なんて担任の坊っちゃんがおどかしても、ただキョトンとしてるだけ。
英語の時間はスペシャルゲストのお客さま。耐え難きをたえ、忍び難きをしのぶ風雪の時間だ。
この公一くん、もとはといえばきわめつきのマジメ人間。性格もきわめて穏やか。だが、何をやっても要領の悪いノロマ人間。スロースターター、スローラーナー典型的な人物といえる。棺桶に片足つっこんだころ、大スターになるかもしれない。
予想通り、学期末に英語の不合格点をとって、担当のうらなりが坊っちゃんのところにやってきた。
「ウヒャー、どうしようもないですねえ、重症です」
うらなりは、青白い顔をグラグラ揺らして驚ろいてみせた。
「教えかたが悪いんじゃないの?」
坊っちゃんはすぐ本心を言う。
「そうでしょうかねえ」
うらなりは怒らない。不安そうに、青白い顔をますます青くした。
「いいでしょう。おれが面倒みましょう」
安うけあいするのが、また坊っちゃんの悪いクセ。ひょんなことからうるわしい師弟愛が始まる。
さて、純国産品の慢性英語アレルギーの公一くん。坊っちゃんがやさしそうな問題を選んで訳してくるように言ったら、次の日、横文字のうえにビッシリとアリの行列みたいなふりがなをつけてやってきた。それも、ごテイネイにカタカナのふりがなだ。恐れ入った。坊っちゃんはアリの行列をけしゴムで消させた。
「ふりがなを覚えちゃダメなんだよお、公一くん。いつまでたったって読めないじゃないか」
ふりがなを消させて読ませてみたがちっとも前に進まない。まるで死んだアリだ。それもそうだろう。突然つっかえ棒をはずされたんじゃ、公一くんでなくともガックリくる。ふりがななしじゃ、闇夜のカラスに鉄砲ぶっ放したも同然、当たるわけがない。座頭市のほうがまだマシだ。
「それにしても、英語ってのはむずかしいなあ。つづりと発音がけっこう面倒なんだよなあ、公一くん」
公一くんにつき合ってみて、坊っちゃんは初めて知った。
theはなぜ、ザと発音するのか(公一流に、なぜzaでいけないんだろう)
enoughのしっぽのghは
と発音する。throghのghは発音しない。 なぜだろう。しゃっくりのhiccoughのghは
と発音するんだそうなこりゃおどろいた。
自慢じゃないが、われらが日本語だってムズカシイ。一本、二本、三本あるいは一匹、二匹、三匹、…本や匹が一、二、三と組み合わさったとたん、ぽん、ほん、ぴき、ひき、びきと玉虫色に変化する。でも、こんなのは幼稚園の鼻ったらし小僧だって区別する。人間の人はニンだし、人生の人はジンとなる。ひとを殺せば人殺しだ。恐ろしい。
「やっぱり、目よりも耳なんだよなあ、言葉なんて。教科書で教えるってのがそもそも間違いなんだよ。ウン」
いくら坊っちゃんが納得しても、公一くんの解決にはならない。
ところで、びっしり横文字にふりがなをつけてきた公一くん。weをラと読み、wellをラルと読む。なぜなんだ。
writeという単語を読み進んで謎が解けた。公一くんの思想はこうだ。
「write(ライト、書く)のWはラと読むじゃないか。weやwellのWをラと読んでなぜ悪い」
公一くんの英語の学力は、うらなりに聞けば中学一年程度のものらしい。坊っちゃんが、ボール紙にマジックで"一本、二本、三本″
とでっかく書いて公一に見せたら、ゆっくりと
「いっぽん、にほん、さんぼん」
と読んだ。
−坊っちゃんシリーズより−
(福島県立石川高等学校教諭)
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