教育福島0057号(1980年(S55)12月)-033page

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まを合わせて行動し、一度決めたらその意志を押し通そうとしたり、論理的につくろったりするわけである。資料の主人公わたしが、レク係になりたいなら最後まで到達させていくのが、人間のあるべき姿であろう。しかし、諸条件によって自分本位の考えに陥ってしまい、ものの見方、考え方などみじめにしてしまうものである。

このように、自分だけを大事にする意識・損得等の自己中心的な考え方を功利性と考える。ところが、それが連帯感、つまり、つながりの欲求安定を求める心の働きによって、よりよい生き方に変わっていく。主人公わたしが係の重みを痛感し、やりとげた喜び、よかったという感動がそれである。

 

「レクリエーション係」における資料の見方と指導内容

 

●主題 「集団の和」

●主題 「集団の和」

●ねらい 個人的な感情をのりこえて、進んで自己の役割を果たし、集団生活の向上につとめる

 

三 まとめ

(一) 明らかになったこと

1) 話題の柱は、三から四くらいがよい。なぜならば、話し合いに深まりがでてくるからである。また、話題の柱をとらえるために、ある時間、生徒とともに資料の分析を試み、それが、道徳意識を高めるとともに、話し合いの活発化にもつながり、学習訓練の一助にもなっているからである。

2) 生徒自ら語り合いたいという気持ちが表面に見られ、一人一人の授業態度に変化がみられた。

3) あらすじを追う授業から脱皮し、主人公に学び、共鳴し、あるいは批判したり、否定したり、疑問点を持って授業にのぞむようになった。

4) 教師側からみると、常に生徒サイドに立って一緒に考え、話し合えるという良さがある。

5) 道徳授業の高まりと、まがりなりにもやろうという意欲的な態度がめばえてきている。

6)資料の主人公の生き方を読み取り、生徒サイドの話題の柱は、同時に教師の資料分析の結果による話題と一致する場合もあり、また、生徒たちの目のつけどころが不十分な場合は、教師の方から進んで話題を提示することもある。

したがって、全ての資料、かならずしもこの形をとるとは限らなくなる。

(二) 今後の課題

教師中心の授業から脱皮し、生徒自ら話題の柱を考えることは、道徳授業と表裏一体の関係にある学級づくりに役立っている。

今後は、この研究を主体にして、更に授業の工夫につとめ、そして深め、道徳教育の実践化に結びつけるための指導法を考えていかなければならない。それが、今後の大事な課題と思われるからである。

 

 

 


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