教育福島0060号(1981年(S56)04月)-025page

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随想

 

雨だれ石を穿つ

山田祥子

 

一学年四クラス百四十三人の学校で、個別指導などにとても手が回らない。

 

私が本校に転任して来たのは二年前のことである。前任校の全校生三十四人の小規模校とは違い、一学年四クラス百四十三人の学校で、個別指導などにとても手が回らない。

初めに学年別基礎計算力テストを行った。思ったとおり結果は思わしくなかった。どうしたものかと途方にくれた。授業中だけではとても救ってやれない生徒をどうしたらよいかわからなかった。三年生だし、受験も近いし、この子たちのために「できる限りのことを」と思っても、部活動に熱中する生徒にはどうすることもできないのが現状であった。

そんなある日、淡い期待もかけ「昼休みや放課後の自分の好きな時に、特別教室に来なさい。いつでも教えてあげます」など言ってみた。単なる責任逃れと、少しの期待で「そんなには来ないだろう」と内心思っていた。

初めは、二、三人が放課後や昼休みに時々顔を見せた。私も時々顔を見せた。簡単な計算から始めたのに同じことを何度も繰り返しやらなければならなかった。気が遠くなるような毎日だった。今日覚えても、明日まで保っているという保障がない。とても忙しい毎日で、何度も止めようと思った。生徒も時々気分で顔を出す。私も気分で時々顔を出す。そんな毎日だった。そのうちだんだん頭の中に幾つか残りはじめたのでしょうか、毎日続けて顔を出すようになった。昼休み、放課後でも、食事中でも、いっでも、どこでも言葉をかけ「先生、今日はやらないのですか」とついて来るようになった。「しめたっ」と思う反面、初めは意気込んでいた私もほとほと疲れ「まいった」と思うようになった。他の先生から「少しはっき離した方が…。いっでも先生がついていなくてはできない生徒にしてしまうんじゃないか」という助言もあって、毎日から時々に変えてみた。でも廊下で逢うと「先生、今日はやらないんですか」と聞いてくる声に「はっ」と我に返りまた続け始めた。やはり止められなかった。それからというものは、毎日毎日生徒が一人でも「やる」という日はつきあった。

少ない日は一人、多い日は十人くらい、かわるがわるやって来た。たし算から、毎日、同じような計算を繰り返し繰り返し続けた。わからない者ほど少しのことでも喜びは大きい。こんなに喜んでくれるのならとつい私にも力が入った。一日に何か覚えて帰って行く。「雨だれ石を穿つ」とは本当だなあとつくづく思った。毎日一つ覚え二つ覚えしているうちにだんだん目に見えるほど覚え始めた。そのうちにどんどん自分でも解けるようになっていった。

その子らがこの三月卒業して行った。「もう少し…」と何か手ばなしたくない気持ちで一杯だった。決して上手にはいえない。しどろもどろに「先生のおかげで数学がわかるようになりました。先生のおかげで高校に入れました」と何度も何度も頭をさげて行く子に何かじんとくるものを感じ、苦しかった毎日もよい思い出に変わった。やっぱりやってよかったとつくづく思った。

そしてまた、新しい一年生が入って来た。一年生に数学が好きかどうか聞いてみた。「好きでない」と三十四人中二十六人がおそるおそる手を上げた。

こんな実態の中で、また明日からの生徒との戦いが待っている。根気のいる仕事だが、やりがいのある仕事、喜びの味わえる仕事に生きがいを感じている毎日である。微力だが力一杯…と思う。

(喜多方市立第三中学校教諭)

 

わかるよろこび

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