教育福島0060号(1981年(S56)04月)-026page
随想
「与作」の思い出
和知正隆
「与作は、木を切る…」、ご存知、北島三郎の演歌の一節であるが、その題名「与作」は、本校の生徒の間では別の意味で使われている。
本校では、文部省の指定を受けて、「勤労体験学習」(以下「勤体」と呼ぶ)の研究・実践をしてきた。
その概要は、校有地である約二千五百坪にも及ぶ山林を学校園として造成し、そこに、学年ごとに作物の栽培を行い、これらの作業活動を通して、生徒に、創造心、協力心、責任感、規律心、環境美化の心、奉仕の精神、そして勤労の喜びとその意義などを体得さぜようというものである。
いわゆる「なすことによって学ぶ」ということの一つの試みである。作業は、最初のヤマ場である雑木林の伐採と抜根から開始された。普通科の生徒たちにとって、人跡未踏の雑木林の中の作業は、周到な準備と事前指導を必要としたが、いざ始まってみると、生徒たちは意外にも意欲と興味をもってこれにあたり、短時日のうちにこれをきり拓いてしまった。
この伐採作業の過程で、生徒たちは誰からともなく、「与作」を口ずさみ始め、困難な作業を自分たちのペースで、むしろ楽しいものにしてしまった感があった。以後、「与作」は「勤労体験学習」の愛称として定着し、その後の活動の展開に大いに寄与したといえる。正に言い得て妙であり、フィーリングエイジの子供たちである。
この「与作」の時には、教職員も教科書とチョークをノコギリやクワに持ちかえ、ギックリ腰を気にしながら、額に汗して、木の根っ子に挑んだものである。
かくして二年目に入り、収穫の秋を迎えた。広大な学校園には、色とりどりの草花が咲きほこり、一部には冷夏のためかサヤだけの大豆もあったが、トウモロコシは全校生で試食し、とれすぎたカボチャは職員会議の議題にもなった。そして、フィナーレは、サツマイモの芋煮会だった。地面にかまどを掘り、煙で涙を流しながら雑木をくべ、教職員と生徒とがひとつになって大いに楽しい時をすごしたのだった。
このように実践されてきた本校の「勤体」ではあるが、まだ、その緒についたばかりである。したがって、今その教育的効果を軽々、に論ずることは慎しまなければならないと思うが、有形、無形のそれなりの成果も認めることができる。また、このすべての実践過程で、巧まずにしてなされた教員と生徒とのふれ合いや、意外な生徒についての意外な面の発見なども見逃すことができない。
更に、年々多様化していく生徒たちを抱え、日々、頭を痛めている我々教員自身にとっても、県下に先がけて行われたこの「勤体」は、教育を考え、論ずる一つの機会を与えてくれただけでなく、「実践」を通して、教育を考え、教師の姿勢を問いかけるものとして大きな意義があったのではないかと思う。
よく言われることに「勤労」によって、人間がつくられるということがある。教育のねらいが、人間としての完成であるならば、「勤労」の役割は、ますます重要になってくる。
今年も、「与作」を体験した生徒たちが、それぞれの進路に巣立って行った。
(注 筆者は四月一日付で県立矢吹高等学校から県立白河女子高等学校に転任したが、この随想は矢吹高等学校時代に執筆されたものである。)
(福島県立白河女子高等学校教諭)
ヘイヘイホーヘイヘイホー