教育福島0060号(1981年(S56)04月)-031page

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五 研究計画(略)

 

六 検証前授業

 

生き生きした授業が展開できるようにへ四回の授業を通して次の基礎的条件を確かめた。

1) 基本発問による反応の仕方

2) ねらいの価値へのせまり方

3) 問題場面の受けとめ方

4) 心情に訴えたとらえ方(感じ方)

その結果1)と2)は指導者側の問題であり、事前研究により解決を図ることができること。授業で特に気をつけなければならないのは3)と4)で、問題場面でのいろいろな受けとめ方を取り上げ、それを望ましいものへ近づけていくことや心情に訴え感じとる力を高めていくことでありた。

そのときの児童の反応はおおよそ次のようなものである。

・自己中心的な受けとめ方が強い。

・第三者的に受けとめやすい。

・深まりのない単線型のとらえ方が多い。

・主体的な追求が弱い。

 

七 検証授業

 

(一) 検証授業の取り組み

 

事前研究では・中心価値の理解・資料の解釈・ねらいの決定・実態調査と考察・指導上の工夫・指導過程作成をする。その中で、しっかりおさえることは、道徳性の実態を授業に生かし望ましい受けとめ方ができるように工夫しておくことである。そして、本時のねらいへのせまり方をおさえ、発問をし指導過程をまとめる。

その場合、三つの段階的側面をおさえる。

・問題場面に応じた望ましい感じ方を伸ばす。

・問題解決を図る望ましい判断につなぐ。

・本時のねらいに主体的にせまる。

 

(二) 授業の実態

 

・四回の授業を行い指導法の工夫のあり方と変容をとらえてみることにした。

指導例(要約)

主題名「おじいさんこちらへ」

ねらい 困っている人や不幸な人を進んでなぐさめ励まそうとする態度を養う。

授業は気づかせる段階(導入)で困っている人や不幸な人にどのように接してきたかを話し合い、考えさせる段階(展開前半)で資料を読んで、次の三つの発問を中心にすすめた。

1) 「ぼく」はおじいさんのようすを見てどう思ったか

2) 「ぼく」がおじいさんに席をゆずれなかったわけはなぜか

3) おじさんは立って席をゆずれたのは

発問1)については、ねらいにせまる動機になるものでいろいろな受けとめ方をださせた。・大変だなあ・かわいそうだ・席をゆずってあげようという直感から・重い荷物をもってよういでないだろうと、おじいさんの立場の理解へ向かった。

2)は、よい行いも実行するには心構えができていないとできないことに気づかせる。・やっとバスの席にすわったのにすぐ立つのはきまりがわるい・みんなに見られるのがはずかしい・自分もつかれているからそのうちゆずる。その後で・本当にこういうときのおじいさんは大変だとまで思わなかったという見方が加えられた。

自分の立場を中心にみた認識のあまさによるものから、相手の立場に見方を変え望ましいものへ近づいている。

3)は、「ぼく」に足りない心を気づかせることであるが、その理由は・おじさんができたのは大人だから・はずかしい気持ちをおさえることができるから・小さいころからやっていたからなど。大人はできるもの、成長すれば身につくものという浅い認識が多かったが、「おじいさんが大きなふろしき包みをさげ、よろよろしているのを見て心でどう感じたのだろう」と発問を加えると・年よりなので、すぐつかれて大変だ・あせもふけないので気の毒で、すわっていられないなど、おじいさんの体のようすに目を向け気づかう心がでてきた。

授業の後半の深めさせる段階、意欲づける段階では困っている人を助けた経験を発表し合ったり、困っている人にあったらどんな心で接すればよいかノートさせたりした。

 

(三) 授業のまとめ

 

四回の検証授業を通して反応の仕方が次のように変わってきている。

・場当たり的な考えが少なくなり、認識の仕方が深まってきた。

・意見のつけ足しが多くなり、望ましい判断の仕方が確かめられるようになり、単線型の反応は少なくなつた。

・相手の立場を考えたり、問題場面の受けとめ方に目を向けたりし「ねらい」へのせまり方が早くなった。

 

(四) 反省と課題

 

問題場面に対する受けとめ方に目を向け指導を進めたが、意識を高め望ましい感じ方を伸ばす上で、大変有効だったと思う。

授業では望ましい生き方を追求し心情に訴え、認識の仕方を深めていくことができた。反面、意識の変容など研究法によるまとめ方がよくできなかった。今後の課題である。

 

 

 

 

 


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