教育福島0060号(1981年(S56)04月)-033page
立っている一つの組織体と言える。
以上のように、地理の学習内容は、一つの概念が、それよりも下の概念によって構成され、下の概念もまたもっと下の階層に属する概念によって構成されるという「階層的構造性」をもっている。
(二) 地理的認識
地理的認識とは単に地名を記憶することではない。事象の性質や事象間の関係について正しい判断をもつことであると考える。
地理の学習内容を地理的事象と、それらの関係とに分けた場合、地理的事象は、「都市」というように単語で表され、関係は「都市は中心地機能をもつ」というように文章で表現される。「都市」という地理的事象について、「知る」ということは、都市のもつ一般的性質を抽象化することによって、「都市」という概念を形成することである。雲際に市街地をみて、それを都市だと認識することは、眼前の対象に対して、都市という概念を適用することであると同様に、対象の属性を判断することでもある。これに対して「都市は中心地機能をもつ」ということを認識するということは、その関係について理解し、判断することである。
ところで、事物の性質を判断するということは、事物と性質との対応関係を判断することであるから、広く事物にかかわる諸問題について判断するということの中に含まれることになる。そこで、地理的事象についての認識ということは、その性質及び他の事象との関係について正しい判断をもつことである。諸事象間の関係ということ基として、地理の学習内容を階層的構造として構成する場合、地理的認識は、地理事象にかかわる諸関係を、構造的に把握することによって獲得されると結論づけることができる。
(三) 教材構成の設計
以上のような考えに基づく教材構成についての私見を述べてみたい。
知識を獲得させようとする場合、学習内容の階層的構造を、上から下へたどるような方法は適当ではない。例えば都市とは何かを知らせるために「都市とはこういうものだ」と言えたとしても、続いて「こういうもの」とは何かが問題となってくる。このように、ある概念の階層的構造を、下に下にとたどり最後まで指導することは実際的ではない。また属性を明確にすることなしに、都市という概念を定義すれば、ある集落が都市と言えるかどうかを判断することもできないことになる。だからと言って、あらゆる都市を見せ「これは都市です」を繰り返すことによって、都市とは何かを知らせることも、不可能である。
「知る」ということは、知覚された表象に基づいて、その対象のモデルを頭の中につくることである。都市という概念は、多くの都市を見ることによって、類型化された都市のイメージが形成される。こうして頭の中に形成された都市というイメージを都市のモデルと呼ぶことにする。対象を知覚してそれを都市だと「知る」ことは、その対象が、すでに頭の中に保持されている都市のモデルに適合すると見なすような判断を行うことである。また「都市は中心地機能をもつ」というような抽象的知識を獲得するということは、言葉によって「都市は中心地機能をもつ」と表現されるようなモデルを頭の中に形成することである。「都市」とか「都市は中心地機能をもつ」のように、モデルとは、それを言い表す言葉にほかならない。「知る」とは、頭の中に言語モデルが保持されている場合には、対象がそのモデルに適合するかどうかを識別することである。新たな知識を獲得するということは、そのモデルを適合する個々の事例の集合を増加させることである。またそのようなモデルが頭の中に保持されていない場合には、その対象を言い表す新たなモデルを形成することである。
更に、地理学習で体得させる大きなねらいは、例えば、都市の数、規模、分布に関する空間的秩序のような抽象的な内容、あるいは具体的内容であっても、対象をじかに接することができない遠方の地理的事象などについて、認識し、理解し、思考させるための探究の手だてを体得させることである。抽象的な理論や間接的経験きり得られない地理的事象の認識は、例えば「都市」という具体的な対象によりモデルを形成し、やがて「都市は中心地機能をもつ」という抽象的なモデルを形成するように、直接あるいは間接的に知覚される具体事象の言語モデルを媒体とし、他の言語を操作することによってさまざまに関連づけ、組織し、しだいに抽象的モデルを形成していくことが望ましい。このような過程を「考える」と言うのであり、思考力とは、このようなことを行う能力であると考えている。
以上のように、新たな知識を獲得するとは、既知のモデルを基礎として、学習内容の階層的構造を、下から上に向かって組み上げる思考過程を通して新たなモデルを形成するということであり、理解するとは、学習内容を構造的に把握することである。このような探究や理解によって、はじめて知識は獲得されると考えるのである。