教育福島0064号(1981年(S56)09月)-030page

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随想

 

マー坊への期待

 

菅家二千六

 

菅家二千六

 

「おじちゃんボクのテントここでいいの」と、一年生のマー坊こと正裕君がいそいそと、まだ毛布の敷き終わらないテントの中にもぐり込んできた。

今日は子供会の一大行事。「夏休みキャンプ」は昨年までは日帰り行事であったが、今年は子供たちの要望もあり、テントに泊ることになった。一、二年生のほとんどは夜のキャンプファイヤーが終わると親が迎えに来ることになっていたが、このマー坊君だけは親の用便の心配をよそごとに、早くから寝る準備を始めた訳である。

青少年教育、地域活動の柱ともいえる「子供会育成」が叫ばれてからずいぶん久しいが、ようやく我が町にもその動きが芽ばえ出した。二、三年前から、小学校のPTA活動の重点施策として打ち出され、その年二つの地域子供会が初めて誕生し、更に昨年三つの子供会が結成されたのである。

子供会結成の形態にはいくつかあるが、いうまでもなく我が町の子供会はPTA主動型の子供会である。したがって、育成会もPTAのP会員のみであり、子供会員も現在のところ小学生に限られている。

このことについては、結成時、当時のPTA会長とずいぶん議論をした経過があった。

私は、出発当初は小学生のみからでよいが、将来の拡大発展を考えるならば育成会組織だけでも、PTAとは別個の組織(会員は同一人であっても)とすべきだ、と主張し強引に「育成会々則」を設けた。

経過はどうあれ主人公たる子供たちが健全な姿で活動に参加することが第一である。

いよいよ年間計画も決まり、活動に入った。その中で、事前に十分話し合いや指導があったにもかかわらず、依然として「なににつけても、よく世話をする大人がよい育成者であると考えている」「自分の子供を他人(指導者や世話人)にまかせることができない」「子供たちの能力を知らない」などの問題が残った。

また子供たちも、このような親の態度に、非常によく対応しているのである。すなわち、大人にやってもらうのが当然である、と考えており、特にこの考え方は高学年ほど強く、多いのである。

古い話になるが、私らが小学生のころには、それぞれの部落に「分団」というものが組織され、全く大人の力などを借りずに、いわば子供会が運営されていたものである。春の総会や行事の前の会議は「常会」と称し、夜六年生の家を順番に宿として開かれ、節々の行事はきちんとやった思い出が残っている。しかも行事のほとんどは奉仕的活動であったし、資金つくりも裏山で柴木切りをして売り、畑耕しをしてわずかな賃金をあてたのである。

もちろん、今の子供たちにこんなことを要求してもできないのが当然である。このような知識や技能を現代の物質文明社会が、子供たちの日常生活から奪いとっているからであろう。

また今の子供たちは、けっこう忙しいのである。スポーツ少年団や塾通いにクラブ活動、そして公民館の映画会等々…と。

知識や技能を持たず暇もなく、その上お金があればなんでも手に入り、家や社会でも大人たちがなんでもやってくれることを当たりまえ、と思っている現代っ子に、どのようにして、子供会のりっぱな目標に向って活動させればよいだろうか。そのうちに「子供会アレルギー」の子が出てくるかも知れない。ここで子供会育成者としてもう一度原点に返り考える必要があるような気がする。「子供会は、本来地域での上下級生のワクをはずした遊び仲間の集団を組織化したものである」ということであろう。遊びなくして子供の生活はあり得ないはずである。

いちがいに、かた苦しい奉仕作業や勤労活動は、計画表の段階ではりっぱであるが、子供たちは心から喜んで飛び込んではこないようである。

マー坊君が楽しく参加したのは、遊びで参加しているのであろうし、高学年生は「やらされる」ために参加していたのであろう。やがてマー坊君が六年生や中学生になったころには、名実ともに「子供たちの子供会」として成長することを期待したいのである。

(只見町教育委員会社会教育係長)

 

 

 


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