教育福島0067号(1981年(S56)12月)-024page

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2 各地の古墳調査

 

本年度の県内の発掘調査の特色として、例年になく古墳の調査が各地域に多かったことをあげることができる。

 

●雷神山前方後円墳(会津坂下町)

 

後円部に後の時代の経塚が営まれ、戦前経塚と主体部は盗掘を受けている。今回の調査は盗掘部の精査を目的としているが、石室は河原石を積み重ねた竪穴式のもので、副葬品として鉄剣一振りが検出された。

 

●烏崎古墳群B地区一号墳(鹿島町)

 

今回の調査は、東北電力の火力発電所建設に伴なう道路付替工事による緊急発掘である。この古墳群は三基の円墳と十三基以上の横穴群からなるものとされていたが、調査中の一号墳と、二号墳は前方後円墳であることが明らかとなった。そのため調査後にわかに当古墳群の重要性が認識され、再調査又は保存が検討されている。

一号方墳は、前方部の半分ほどが戦後の開墾により削平されており、正確ではないが全長は約三十メートルと考えられる。後円部中央下八十センチメートルの所に隅丸方形の墓坑があり、底面には海砂が敷きつめられてあった。遺体は残存していなかったが、土師器カメ・コシキがあった。前方部削平面からも土師器片や鉄斧型土製品?が検出された。

二号墳は全長約三十四メートルで柄鏡式の前方後円墳であることも実測の結果明らかとなっている。

 

烏崎古墳群B地区1号墳の発掘

烏崎古墳群B地区1号墳の発掘

 

●本屋敷前方後方墳(浪江町)

 

法政大学による三年計画の発掘調査の第一年度で前方後方墳一基、方墳二基、円墳一基の計四基からなる古墳群である。

今年は、全長約三十六メートルの前方後方墳を調査対象とし、主体部及び墳丘北半部を発掘した。

その結果、内部構造として後方部墳頂下約一メートルに底面をおく木棺直葬の跡と、前方部墳頂に箱式石棺が確認された。副葬品としては、木棺内より碧玉製管玉・ガラス製小玉・櫛・鉄錺?があり、石棺内より鉄製刀子が検出された。

なお、木棺は割竹形であり、粘土で目張りした長さ七メートルにおよぶ長大なものであった。

 

●早稲田古墳群(須賀川市)

 

総合農地開発事業母畑地区の開発に伴なう発掘調査で、五月から十月までの半年間福島県文化センター遺跡調査課で調査を実施した。ほとんどの古墳は過去の開墾で墳丘を失なっており、周濠部や石室の基底部がわずかに残っている程度であった。比較的密集して存在したことが現在残る痕跡から明らかとなり、前方後円墳一基・円墳十七基・中近世土坑墓三百基以上などがあった。

七号墳は全長二十メートルほどの南にひらいた前方後円墳であった。

また、十号墳と十四号墳の周濠から墓前祭と関係あると思われる土師器杯が、二十数点積み重なって、検出された。周濠は、主体部に通ずる所がブリッジ状になっており、後述の沼の沢三号墳とも通ずる貴重な知見をもたらした。

 

早稲田古墳群

早稲田古墳群

 

●正直三十号墳(郡山市)

 

県内の古墳群の中でも重要な位置を占める古墳であり、戦後数回の発掘調査が実施されている。

今回の三十号墳は、地権者の家屋新築に伴なう発掘調査である。一辺三十メートルの方墳で、四周に周濠があったようである。主体部は木棺直葬で二基あった。副葬品としては、ガラス玉・勾玉・石製模造品(剣・鏡)がある。

なお、周濠基底に別の古い時期の古墳主体部と思われるものがあり、排水溝と思われるものもあることから、石室の底部のみしか残存していない可能性が強いが、注目される。

 

●沼の沢三号墳(双葉町)

 

郡山地区の海岸の崖の上に立地しており、他の古墳はすべて海蝕による崩落で発掘調査の最後の調査となった。

三号墳は円墳であり、周濠をふくめて径二十ニメートルの大きさである。

 

 

 


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