教育福島0067号(1981年(S56)12月)-026page

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随想

 

椎野玲子

にをどうやっていいのやら皆目見当もつかず、文字通り無我夢中の毎日だった。

 

高鳴る動悸を押さえ、震える足で初めて子供たちの前に立った日から、すでに一年が夢のように過ぎようとしている。なにをどうやっていいのやら皆目見当もつかず、文字通り無我夢中の毎日だった。

教職に就いて、自分自身最も痛切に感じたことは、自らの指導技術の未熟さである。子供が騒ぐ、授業についてこない、行動に問題のある子供の対処のしかたがわからない等々、例を挙げれば数限りない。しかし、そういった悩みも、子供たちといっしょに生活していく中で、試行錯誤を繰り返しながら、少しずつではあるがなくなってきているように田心える。

「はじめから、あれもこれもキチンとさせようと思っても無理なことである。一つにしぼって、これだけはなにがなんでもピシャッとさせようとしたほうがいい。その一つのことをしっかりやらせれば、自然と他のこともしっかりしてくるものだ」

「指導技術が未熟なのは当たり前、このようなことは努力の積み重ねによって徐々に深められていくもの。なによりもまず、子供をよく知ることだ」

「あまりあせらず、ゆっくりやりなさい」などのアドバイスを受け、私なりに実行してきたつもりである。そんな中で子供たちから教わったことや励まされたことの多いこと多いこと。

二学期の始まりころだと思う。私が夏休みに描いてきた絵を整理していると子供たちが集まってきて、「先生、これはるの」「どうせ上手な人だけでしょう」と聞く。私が、「全部はるつもり」と答えると、ある子供が、 「ほんとう! ぼく、絵をはられるの初めて」と大はしゃぎ。はられた絵をうれしそうに何度も見ているのである。予想もしていなかった反応にびっくりしたのであるが、子供の喜びを通し、伸ばしてやる配慮はいつも大切にしなければならないんだなと思い知ったしだいである。

また、五校時で子供たちを帰したときのことである。ある子供が戻って来て、「先生、一組まだ授業していたよ。今日六校時だよ。先生怒られるよ。早くここにいる人だけでもいいから授業しなよ」と息をきらせながら言うのである。いつも私をこまらせているこの子が、こんなことを言ってくれるなんて、思わず涙があふれそうになった。今までの苦労がどこかへ吹き飛んでしまって、明日からもっとがんばらなくちゃと思ったものである。

とかく一学期は、不慣れのために、授業にも学級経営にも余裕がなく、とかく目前の日々の授業のことやその他の仕事のことで、頭が一杯という状態に陥りがちで、「木を見て森を見ず」というやりかたで、なにごとも労を多くして、的確な仕事ができなかったようだ。

また、子供のことにしても、やたらに悪いところばかりに目が行き、彼らのすることなすことに、いちいち目くじらを立てカリカリ怒ってばかり。

もっと子供の心理を考え、できるだけいい面を見つけて、ほめてやればよかったと後悔したこともしばしばあった。

もう一年も残り少なくなってきたが子供たちといっしょに学び、遊びながら、子供たちとともに私自身も成長していきたいものである。

すべての子供に大きな可能性があることを信じ、子供の伸びていく芽を見つけ、その芽を伸ばすことに情熱をそそいでいきたい。子供たちの未来の姿をいつまでも見つめながら。

(いわき市立赤井小学校教諭)

 

可能性を信じて

可能性を信じて

 

 

 


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