教育福島0067号(1981年(S56)12月)-029page
随想
一ページ
笹川庸雄
若松商業高等学校での非常勤講師を経てこの四月念願の中学校に就職することができた。新採用教員としての喜びと不安をまじえながら、真新しい制服、制帽に身を包んだ新入生といっしょに、東北中学校の門をくぐり、無我夢中で生徒たちを教え、生徒たちから学びながら毎日を送るうちに、早いもので、秋の冷たい風が肌に感じる十月の声を聞くようになってしまった。
そんな中で、四月のある日「先生、サッカーの練習前には、大和田一周走るんだぞい」と生徒に言われた。大声で、「あっそうか、先生も走っぺ」と簡単に返事をしたものの、いざ走ってみるや、急な上り坂あり、下り坂あり変化に富んだ全長四キロメートルの長距離コースだった。
ここを一年生から三年生までサッカー部員全員が練習前の準備運動と基礎体力を高める補強運動も兼ねてロードランニングをするのである。その中で体力的に劣っているために、みんなについていけない双子の1君とG君、それにY君の三人がいた。一日も早くみんなといっしょに走ることができるように、歯をくいしばり互いに励まし合っているその姿を見て、どうしても彼たちを、他の生徒と同様に走れるようにしなくてはと思った。それには、毎年落ご者の多い校内マラソン大会の全員完走を目標に掲げ、天候が許すかぎり、彼たち三人の後から声をかげながらのロードランニングを開始した。これは、私にとっての生徒指導の始まりでもあった。
「トラップドリブルシュート」と、キャプテンの大きな声が響く中、部員はすでに練習を開始し三人は遅れながらもその中に加わるが、やはり体力、技能面で他の部員と同じような練習ができず涙を流すこともあった。
その時私は、自分の指導法や三人の今後の学校生活に不安を感じどのように指導すればよいか悩んだ。しかし、一日の厳しい練習を、できないながらも部活動終了時に、「ありがとうございました」「先生さようなら」と笑顔で帰っていく後ろ姿に私自身、いつしか教師になってよかったという、満足感と安ど感を覚えるのである。
さきの校内マラソン大会(男子は大和田地区二周、計八キロメートル)は彼たち一年生にとっては、末知の世界への挑戦でもあった。彼たち三人に対して、ロードランニングの成果と完走を心ひそかに祈ったのである。
大会は、悪天候の中、学年別に一年生女子から順調に進められ、いよいよ三人を含む、一年生男子のスタートとなった。スターターの私も胸の高なるのを覚えると同時に彼たちの顔にも緊張と不安が隠しきれないようである。いよいよスタート、横一直線で走っていく。二年生、三年生の男子もそれぞれスタートした。
グラウンドには早くもゴールインする女子の生徒、二周目に向かう生徒がもどってくる。ようやく、一年生男子の後方に三人の姿が見えた。
「あと一周」おもわず大声で叫んでいた。女子生徒のゴールが終了、男子生徒も次々にもどってくる。私は、三人を含めた全員完走を信じ、遠く校門を凝視していた。
スタートから一時間が過ぎようとしている。まだかまだかと待っているうちに、ようやく双子の兄弟の1君、G君、そして四、五人の生徒がゴールインし、さらに二十分遅れてY君が今にも倒れそうに、全校生徒の拍手に迎えられ、みごと完走したのである。
自分の限界に挑戦し打ち勝ったことは、これまでの彼たちの努力があったからこそと信じる。
私は、ふと柔道家嘉納治五郎先生の言葉を思い出した。「努必達」、目標を立て、苦しいながらも、打ち勝つ努力をすれば、必ずその目標に到達することができる。
この言葉は、彼たちだけでなくすべての人に当てはまる言葉ではなかろうか。
生徒たちといっしょに走り、遊び、学んだことの半年間は、毎日、毎日が短く感じられた。今にして思えば私の思い出の一ぺージであり、この一つ一つを積み重ねて、生徒とともに大きく成長する教師をめざしたいと思っている。
(白河市立東北中学校教諭)