教育福島0067号(1981年(S56)12月)-030page
随想
仔豚が生まれた
岩渕朱実
「もしもし大変、ヤマ農業高校というところがら電話があったけどどうする?」母の狼狽した声が、ゼミ旅行で伊豆に来ていた私の耳もとに響いた。この日の昼には、今年初の桜を見てきたばかりだった。
それから約一か月後、私は、一面銀世界の校庭をにらみつけていた。冬への逆もどり−。とり残されたようでひどくみじめな気持ちになった。私の予想していた教師生活の幕開けは、もっと明るく希望に満ちたものであるはずだったのに、実際には、このように不安げでおぼつかないものであった。
ある五月晴れの日、農場で仔豚が生まれた。雪も消え、新緑の萌える季節だった。「よし、仔豚を見に行こう!」私の突拍子もない提案に二十二名の乙女らが外へ飛び出した。春が確実に到来した喜び、新しい生命の誕生、私には、なにもかもがすばらしく感じられた。だが、生まれながらにこの土地に育った彼女らのこの自然がおりなす営みへの感動は、極めてクールだった。
「先生、なにがそんなにうれしいの?」などと言って「臭い臭い」と嫌がった生徒も、無心に母豚の乳をむさぼる仔豚の愛らしさに食い入るように見入っている。
ところで、この出産に農業科男子生徒が、夜を徹して付き添ったというのだから驚きである。私にとっては、神秘のべールに包まれた推測の世界でしかないものを、彼らは一夜にして目撃したのである。
保育で恐る恐る教えたことが、ままごとのように思えた。 「いや待てよ。豚の誕生と人間の誕生の違いを教えてこそ、家庭科なんだ」と思い直す。お産の後も生々しく横たわっている母豚は、お乳にあぶれた仔豚を、今にも踏みつぶしそうだった。
授業が思うようにいかなかったり、人間関係に疲れた時、私はこの仔豚誕生の日を思い出す。あの日、冬に耐え小鳥についばまれることなく生き残った芽は、一斉に生命の躍動を開始していた。ただ、遠く離れた山里では、それをかすみとしてしか知ることができなかった。同様に生徒も一見したところ、どんよりかすみがかかったように見える。無気力、無感動、一体なにを考え、感じているのだろうか。時折理解に苦しむことがある。口をつく言葉は、「めんどう」「おもしろくない」「別に」というような、とても十代の瑞々しい感性とはほど遠いものである。けれども、一人一人と丁寧に向き合えば、けっして生気を失ってはいないことがわかる。仔豚を見つめる目を思い出したい。一人一人の中には、雪に閉ざされた冬に耐えた生き生きとした新芽があり、春の到来を待ち望んでいることを信じたい。
ところが、日に日に夕暮れが早くなって、帰りにはもう真暗である。あんなに青々としていた緑が、赤や茶、黄色に色づき葉を落としていく。そのたびに、私の確信は揺らぎそうになる。「あまり多くを期待しすぎるから自分が辛くなるのだろうか」と逃げ腰になっては、「でも、あきらめないぞ」と再び奮い立つ。少なくとも、教師の怠慢さや未熟さを生徒側の問題にすりかえることだけはよそうと思っている。か、これがなかなかむずかしい。ついつい、「こんなこともわからない」とか「百分率の計算ができない生徒がなん人」などと、グチをこぼしたくなるが、生徒一人一人の持っている一瞬の輝きを信じて、その一瞬を少しでも多く、長く輝くようにしていきたいと思っている。良き先輩教師や素直な生徒たちに囲まれての毎日は、楽しいものである。ただ、何の変哲もない田舎の一人暮らしでは、余談の種も尽きてきて、枯渇していく自分を感じなくもない。自分の人間的魅力の無さに樗然とすることもある。教師であることが、こんなにも辛いことだとは思ってもみなかった。生半可な知識や態度では、とても生徒をひきつけることなどできないし、まして生き生きとした姿に変えていくことなど不可能である。
今、一番恐れていることは、欲ばりのあまりそれがかえってあきらめに結びついてしまうのではないかということである。これから、私の想像を越える雪国の冬が訪れようとしている。この冬を乗り越えた時、また何かが生まれることを期待したい。
(福島県立耶麻農業高等学校教諭)