教育福島0067号(1981年(S56)12月)-031page

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随想

 

尾形 昇

るが、現実に生徒と接してみて、まさに教師の責任は重いと感じたわけである。

 

初めて教壇に立ってから、はや半年が過ぎ去ってしまった。右も左もわからない暗中模索の状態から、ようやくこのごろ教師という仕事の概要がわかってきたような気はする。しかし同時に、人間が人間を教えることの難しさや厳しさを、日々実感するようにもなってきた。そうして特にこのごろ、教師の責任の重さということを、ひしひしと感じるようになった。大学の講義や先輩などから、このことは強く教えられてきたわけであるが、現実に生徒と接してみて、まさに教師の責任は重いと感じたわけである。

教壇に立って初めて気がついたことに、生徒の目の輝きがある。生徒の目はどうしてあれほど輝いているのであろうか。初めの一週間ぐらい、私はこの目の輝きに圧倒され、全く生徒たちの顔を直視できなかった。半年たった今でもなおそういう時がある。生徒たちにあの目でジッと見つめられると、裁判所の被告席に立たされたような、そんな気持ちになる。「お前は本当に責任を持って、我々を指導しているのか」という一種の脅迫めいた厳しさを感じるのである。教師と生徒との関係については、今まで生徒の側からしかながめたことがなかったから、自分自身教師の責任ということについて、かなり考え方に甘さがあったようだ。ただ漠然と教師の責任ということはわかっていたつもりであったが、この生徒たちの目の輝きに出合ってから、それをひしひしと痛感した。私は一年生を中心に教えているから、特に目の輝きを強く感じているのかもしれない。一年生は特に高校生活に様々な理想を抱いているし、人間関係や日々の出来事から何でも貧欲に吸収し、人生の糧にしようとしている。とにかく高校生活への期待の大きさが、手に取るようにわかる。教師は、そうした生徒の期待を裏切ってはならない。この新鮮な輝く目をそのまま維持させなくてはならない。まさに教師の責任は重いのである。

それにしても、あの目の輝きには本当に驚いた。学生時代、様々な形で子供たちの心の荒廃のようすがマスコミによって報道されていた。私が教師の世界を志したのは、こうした子供たちの心の荒廃を何とかしなければならないという気持ちからであった。したがって、いろいろな報道を耳にして、いったい実際にどれほどの子供たちの心が荒廃しているのかと思い、意欲の中にも不安を抱きつつ教壇に立ったものだ。するとどうであろう。どこに心の荒廃があるのだろうか。みんな目を生き生きと輝かせているのではないか。このような目の輝きを失わなければ、マスコミが取りあげるような問題など起きるはずがないと思う。しかしながら、現実に様々な子供たちの心の荒廃のようすが報道されているのである。現代の社会構造が、生徒たちから目の輝きを奪ってしまうような要素を、あまりにも多く含んでいるためなのであろう。私たち教師には、このような要素から生徒たちを守る責任もあるであろう。更には生徒たちに、現在の目の輝きこそ、いつまでも大切にしていかなくてはならない、ということを自覚させなくてはならない。この責任もまた、かなり重いものである。

私は幸せなことに、自分の高校時代のことは、胸を張って誰にでも語ることができる。それだけ高校時代の自分は充実していたと思う。おそらく私の目も輝いていたことであろう。そしてそのような充実した生活を送れたことの最も根本的な原因は、今考えると友人関係はもとより先生がたの表面には現れない深い愛情のおかげだったのだと思う。だから私は、今めんどうをみている生徒たちにも、将来自分の高校時代は実にすばらしい時代だったと誰にでも語れるような、そんな高校生活を送らせてやりたい。それには私たち教師が、常に生徒たちの目の輝きに注意し、いつでも生徒たちが目を輝かせているような、そんな指導をしてゆく必要があるのではないかと思う。このことこそ、何にもまして重要な教師の責任ではなかろうか。

ほんとうに教師は責任が重い。しかし逆に、責任が重ければ重いほど仕事としてはやりがいがある。仕事の本当の意味でのやりがいということを、このごろ少しわかってきたような気がする。

 

(福島県立安積女子高等学校教諭)

 

 

 


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