教育福島0072号(1982年(S57)07月)-006page

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提言

 

安政年間江戸の災害

 

東海大学教授 荒川秀俊

 

筆者紹介

昭和六年東京帝国大学理学部物理学科卒業と同時に中央気象台に勤務。昭和四十三年三月に気象研究所長を最後に、その職を退くまで一貫して気象の研究に尽力。文字どおりお天気博士である。この間、中央気象台調査部長、気象研究所予報研究室長、気象庁気象研究所予報研究部長、福岡管区気象台長等の要職を歴任した。また、学者として東京帝国大学、東京工業大学、東北大学、九州大学の教壇にも立ち、現在は東海大学教授。昭和十四年理学博士号を受けた。著書も多く、「気象力学」「気象熱力学」「天気分析」「気象変動論」「飢謹の歴史」「災害の歴史」等、枚挙にいとまがないほどである。

昭和四十二年には、英文専門書である「アジアの気候」が、出版されたほか、「荒川の気象変動論集」がソ連で翻訳されるなど、気象予報と気象学の第一人者である。戦後、「台風進路の統計的予報法」の開発のため、アメリ

 

私は今でも、防災という仕事に大きな関心を持っている。

今年の防災の日は、もちろん九月一日であるが、九月一日は昔から二百十日に当たり、この日には当然ながら防災のための何等かの行事があり、お互いに災害防除を誓い合ったものである。特に一九二三年九月一日の関東大震災があってからは、九月一日を「防災の日」と定められ、我々日本人には忘れることのできない大切な行事の日となっている。私は大学卒業とともに、気象庁に職を奉じてからは、防災という仕事が、同時に私自身の業務となった。気象庁での私の任務は、天気予報という仕事一本に定められたから、私は当然わき目もふらず防災の仕事に熱中できることになる。私は満六十歳の停年を期に退職したが、続いて東海大学教授に転じ、現在までその仕事を続けている。東海大学では、若い学生を誘掖するという任務が待ち構えていたが、大学での私の仕事は気象庁での私の仕事をそのまま続けるような類似の仕事でもあった。それで私は、防災の仕事を現在でも続けている。

今年の私の仕事は、防災の日に当たる九月一日を目標として、安政年間における地震と暴風雨について、詳しい記録を出版することである。安政二年十月二日に当時の首都江戸では、いわゆる直下型地震が起こった。地震

 

 

 


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