教育福島0072号(1982年(S57)07月)-022page
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随想
N君との出合い
松本シズ子
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門扉が静かに左右に開き、花壇に咲く花が、さわやかな五月の風にゆれている。
今朝も母親に連れられて、N君が登園してきた。
N君との出会いは、ストーブがあかあかと燃えている二月の末のこと。
「先生、お願いでございます。この子を幼稚園に入れてください」と鼻をつまらせた祖母の言葉からである。
そうして、祖母が語ったN君の生育歴はざっとこんなものであった。
未熟児で生まれ、生後六ヶ月でヘルニア手術、二歳で斜頸手術、そのうえ小児喘息。そして、言語障害、小児自閉症ということであった。
なんと多くの障害をもつ子であろう。
だからなんといってこの子を、一人ぽつんと、人目をさけた部屋の中で遊ばせておくことに、祖母は耐えられなかったのだ。そんなせっぱつまった気持ちが幼稚園の門をたたかせたのだろう。
N君は、きりん組であった。
入園してから一か月すぎた今、N君の姿は、クラスの友だちの中にいりまじって、さがすのに時間がかかるようになったのである。
ほおえみを知らなかったこの子が、ほおえみを見せるようになり、自分の欲しいものは全身をもって訴えるようになったのである。
リズムにあわせ、カニやカエルになっている子供の中に、真似して一緒にやっているN君の姿をみたのであった。
私は目がしらが熱くなるのを覚え、いつのまにかそっとぬぐっていた。
N君が渇望していたのは、きっと、いきいきと無心に遊ぶ子供の世界であったのだろう。
それは、藤棚の下の砂場で山をつくり穴を掘って、トンネルができたと喜ぶ子供たち。すべり台の上から、大きな声で友達を呼ぶ子供、なわをつなぎ汽車ごっこして遊んでいる子供たち。園庭いっぱいにボールを追いかけまわる元気な子供の遊ぶ世界である。
この世界で、子供たちは友だちの輪を広げ、思いやりの心、また、いたわりあう心を育てていくものである。
そして、この子供の世界で、一人一人の子供の心のささやきや叫びをききとり、一人一人の子供を伸ばそうと真剣にとりくんでいる教師の姿があったのである。
このとき、私は「教育は人なり」としみじみと思った。
× × × ×
こんなことがあった。停留所につくやいなや「こんにちは」と、中学生が脱帽してぴょこんと頭をさげた。
私は一瞬めんくらった。
それは、今どきこのような行為があまりにもすくない昨今だからだ。
返礼しながら、八年前卒園したA君とS君であることがわかった。
見あげるほど伸びた背丈、話すことばにたのもしさを感じた。
そして、この素朴な子供のあいさつが、いつまでも、脳裏から消えなかった。
このとき「己に克ちて礼に復る」という言葉を思い出していた。
× × × ×
N君よ。あの中学生のように「こんにちは」といえる日が、一日も早くくることを私はひたすら願っている。
× × × ×
また、この子供たちのために、今日も労をいとわず、あつい情熱を燃やしつづけている若い教師の潤滑油となって、昨日よりは今日、今日よりは明日へ、地道な歩みをつづけていきたい、と考えるこのごろである。
(表郷村立表郷幼稚園長)
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オッカナビックリ
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