教育福島0072号(1982年(S57)07月)-023page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

なしたことは理解する

 

小野 金次郎

 

でず、ただ先輩のするどい識別力におどろき説明に耳を傾けるのみであった。

 

野鳥研究家の先輩と野鳥の生息調査に参加したことがある。新緑の美しい自然林の中で、さまざまな美しい野鳥のさえずりが頭上いっぱいに聞こえ、すがすがしい気持ちになり、早朝の自然のすばらしさに感動していた。しかし、生息調査を目的にきたので、はっと我にかえり、鳴き声をたよりに懸命に識別しようとするが、あまりにも数多くの野鳥の声がどれも似たような声であり、姿さえ、はっきりとつかむことができなかった。ベテランの先輩はヤブサメだ、ジュウイチだ、ヒガラだとさかんに種とその数をメモしていることに、ただ感心してしまったことを思いだす。野鳥のことは、一応知っていると思っていた私は手も足もでず、ただ先輩のするどい識別力におどろき説明に耳を傾けるのみであった。

彼いわく「野鳥とつき合うことだよ。鳥も種類によって特徴があるしね。動作や行動にもきまりがあるんだよ。あのキビタキのさえずりと動き、それに胸のオレンジ色の美しさだね」

その後、野鳥の声をテープにとり、その特徴を調べ、二回目の調査に参加した。結果は第一回目とさして変わらずわずかに一回目に見た種類のいくつかが識別された。しかし、県鳥であるキビタキがわかり、それがきっかけとなってヒタキ科の特徴を理解することができ、シジュウカラをもとにカラ類の生態がわかり、わずかながら野鳥の行動の予想をすることができるようになった。

クラブ活動で自然に恵まれている学校周辺の野鳥についての観察を計画したことがある。最初に子供たちが知っている鳥をみつけようということで、形、大きさ、動き、色、鳴き声など調べることにした。約一時間、静かな中にも真剣に特徴を観察する。つがいのセグロセキレイがみつかり、あの独得な尾の動きをつかみ、二回、三回の観察で十七種中、十一種の識別がどうにかできるようになった。その活動の後キセキレイをみた子もおり、生態観察にまで活動を深めた子もいた。

このことは単に野鳥を知るということでなく、感受性のするどい子供時代に直接自然にふれることの大切さ、自然の中から自ら学ぶ姿勢にもつながるものと考える。言葉や文字の中での自然愛護よりも、からだを通してこそ、真に身についた知識、技能、態度の育成ができるのではないだろうか。

知恵遅れの子を教えた時、言語や数量の指導をするため、いろいろと半具体物など教材を準備し、時間をかけて長さ、重さ、面積などの指導をしたがそれなりの活動はできても抽象的なものの理解に乏しいため次時にまた同じ内容のくり返し、いわば子供たちにとって必要感のなさと、関心のうすさから真の学習にほど遠いものであった。

このような時、学級園つくりや栽培植物を素材として、その成長過程にそって興味と関心のある自ら育てた生物を相手に観察を通してさまざまな学習内容を展開することができた。

野菜の成長による変化や気温や土の温度を測ることによる学習、畑の広さを等分することによる分数や面積の学習、収穫した重さの測定など、作業学習の中でいきいきとした目で二時間連続の学習でも更に続けたい、と訴える子供たちの声に学習指導の本質を教えられた気持ちであった。

子供の特性をつかみ、可能性を信じ自然の中の一員としての人間とみ、私自身も自然に直接ふれて学ぶ者のひとりとして、聞いたことは忘れず。見たことは覚える。なしたことは理解する。という学習指導の基本をモットーに今後の教育の道を進みたいと思う。

(いわき市立長倉小学校教諭)

 

野菜の成長を観察する子供たち

野菜の成長を観察する子供たち

 

 

 

 


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