教育福島0072号(1982年(S57)07月)-026page
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随想
ずいそうずいそうずいそう
親のこころ
佐藤 正尉
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家庭教育の重要性が世に叫ばれて久しい。
特に、社会環境が目まぐるしく変転する今日においては、尚更のことである。しかし、青少年の非行はますますエスカレートし、しかも集団化、低年齢化する傾向にある現状は誠に憂慮に堪えないものがある。
我が家には小学校二年生と五歳の二人の男の子がいる。それこそ親ばか絵に書いたようで、文字通り目の中に入れても痛くないという表現があてはまる。
× × × ×
昨年の夏休みのことになるが、夕方、私が勤務を終えて帰って見ると、二男が大声で泣いており祖母がなだめすかしている。その傍らで長男が箔然と立ちつくしている。
一見で兄弟ケンカとわかる状況で、私を見るなり祖母が、「ボクシング遊びとかで直樹が基樹の腹部を殴った」とのこと、折から二男は病弱で病院を退院したばかりだったこともあって即座に私のゲンコが長男の頭に飛んだのである。
次の瞬間私は大きな自責の念にかられるハメになってしまった。長男はいきなり殴られた驚きとともに、実に悲しげな、実に淋しげななんとも言葉では表現できない目で、無言のまま私を正視したのである。
その目を見た一瞬、これが親と子の絆というのであろらか、子供が私に何か言いたいのか、何を言おうとしているのか、その目にはっきりと現れているのである。
座フトンをたたいてボクシング遊びをしていたところ何かのはずみで座フトンが自分に当たり転倒して泣いたとのこと。
× × × ×
実にくだらないことで長男を殴ったものである。
状況をよく理解しないでとっさに感情的な行為をしてしまったことの無念さ、弟の世話をしながら遊んでやったにもかかわらず祖母と父にしかられた長男の心情。情けなさと長男への謝罪の念に目頭を押さえてしまった。
「直樹どうした」その一言問う心の余裕があったらと今も尚悔まれる。
山上憶良の歌に「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」というのがある。
世は移っても、この親の心情は変わらないはずである。私自身子供を思う気持ちは、自分の生命と同じと考えており、まさに何物にもかえがたい宝物である。これは世の親すべての共通心理であろう。
そして、子をもって初めて親の心を理解できるのである。
× × × ×
今、私が二人の子供にそそぐ愛情と同じものを私自身両親から受けてきたことを思うと、親のありがたさが痛切に身にしみる。
まして、今日のように豊かな時代と違って、昭和二十四年といえば物質不足の真只中そのような時代に生まれた私ども同年輩を子にもつ親の御苦労を思うと、私たち現代の親には体験できない想像を絶するものがあったであろう。
まさに親の愛は海より深く、空よりも高いものである。
「問題児などいない、ただ問題になる親がいるだけだ」とある先生が話されたのをおぼえている。
我が子を悪人に育てたいと考えている親などいる訳がない、愛情のそそぎ方が問題なのである。
私は職業柄家庭教育について講話を聞いたり研修する機会が多い。理論的に理解しているつもりでも、雲際現場では理論どおりにならないところに家庭教育のむずかしさがある。
しかし、本当のしつけは、親にしかできないもので、親が子に残してやれる大きな財産だと私は考える。
あの時の長男の顔、あの目、私は生涯忘れることが出来ないだろう。
(天栄村・湯本公民館主事)
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