教育福島0072号(1982年(S57)07月)-028page

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わたしの研究実践

 

学習を主体化するノート指導(社会科)

 

白河市立白河第一小学校教諭

 

藤田克彦

 

一 はじめに

 

子供の一人一人が主体的に学習に取り組んでいるかどらかを、私たちは、何によって、どら判断しているのであろらか。子供が主体的であるか否かについて、私たちは、次のよらな視点で見ているように思う。

・自ら進んで学習しているか。

・学習することの意味を理解し、学習しなければならないという自覚をもっているか。

・めあてを持ち、意欲的に問題を追究しているか。

しかし、このような視点から子供を見ていても、主体性を支えているであろら意志とか思考といらものは容易にとらえられるものではない。特に、一人一人の追究の筋道や展開、そして、思考そのものをとらえることは困難である。私たちは、何らかの方法で、その子供の思考を把握しなければならないし、子供自身、自分の考えや意見、感想などがどんなものであるかについてっかんでいなければ、主体的な学習はのぞめないと思う。

私たちは、子供の主体性や意欲、ものの見方、考え方などをとらえるために、表現活動を重視するが、「書くこと」は、発表、話し合い、動作化などと違って、子供をとらえるためのきわめて有効な活動といえる。「書くこと」は、記録であり、思考そのものであり、思考の足跡であるからである。教師が子供の思考をとらえようとし、子供自身が自分の思考を表現しようとするとき、「書かせること」、「書くこと」は、最も確かな活動であり、子供の追究活動そのものであるといえるだろう。

 

二 実践の観点

 

子供が主体的な学習をすることは主体的に考えることである。子供がほんとうの意味で主体的に書きだした時、他の表現活動は、これに及ぶところではないと考えて、ノートによる学習の主体化をはかろうとした。そこで、これまでのノート指導の問題をさぐり、その問題を解決すべく、ノートの形式とその内容について実践し、新しいノートづくりの方法を考えてみた。

 

三 実践のあらまし

 

(一) 従来のノート指導の反省

・個性的な思考を重視するといいながら、子供たちの書いたノートを見ると、四十人いれば四十人が同じよらなノートであるということがある。適切なノート指導をしていなかったともいえるし、同じノートを画一的につくらせていたという反省もある。

・子供はノートに何を書くかといえば、板書されたことがほとんどで、子供自身の考えや意見、感想などが書かれるのは、学習の問題や計画、まとめの時などに限られていたという反省がある。

・これまでのノートで、主体化にかかわることで認めてよいと思うのは、調べたことを記録するノートである。産業学習でも歴史学習でも、いかにも参考書の資料そのままというノートがあったりするが、それでも、資料を選んで収集し、記録しているという点で、書かされているノートからは多少進んでいると思えたのである。

(二) ノート指導で何を、どう書かせるか。

課題を追究することによって学習を深めていこうとする場合、課題の良否が、子供を意欲的にするかどうかのひとつのヵギになるが、ノートは、課題を解決するための予想やアイディア、あるいは、追究の筋道のわかるものでなければならない。しかも、課題に対して自分の立場というものを、はっきりさせて学習にのぞまなければ「主体的」ではありえないので、子供ひとりひとりの課題に対する考えが明確に表現されなければならない。

では、何を書くのかといえば、

1) 課題に対する予想、考え、解決のための見通し、アイディア。

2) 課題解決に必要な資料とそれ

 

 

 


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