教育福島0073号(1982年(S57)08月)-026page

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随想

 

子供に教えられて

 

大塚謙一郎

 

大塚謙一郎

 

「先生、小数のわり算できるようになりたい。みんなのように速くできるようになりたい……」

ある女の子が、日記にこのように訴えて来ました。この切ない思いを抱いて算数の学習に参加していた子供の心を知ったとき、教師としての心くばりの足りなかったことを、十分に思い知らされました。私は早速赤ペンで詑びました。子供たちの前で「みんなのために『いい先生』になるぞ」と、大みえを切ったこの私は本当に恥しい思いをしました。

常に何人かの子供たちが、この女の子のように切なく、つらく、もどかしい思いにかられながらも、だれを恨むすべもなく、打ちひしがれたままに授業に参加してきているのかと考えると情けなさが先にたってしまいます。

教師という仕事は、子供たちが訴える以前に手を打ってやるべきで、「ごめんよ」と、言って済まされることではないのです。

そこで、このような子供の生まれる授業の体質について、反省してみました。わかったことは、私の授業は「北海盆唄」と「相川音頭」と「会津磐梯山」授業だということでした。だいぶ前に「授業の体質改善の必要性」という内容の本を読んだとき、今の教師の授業を悪口まがいに書かれていたことを思い出しました。

ごく最近まで私は授業に入ると必ず「それからドウシタ。それからドウシタ」の問いの乱発でした。それは北海盆唄の「ドウシタ、ドウシタソレカラドウシタ」の合いの手です。

それに対して子供たちは、「ハイハイ、ハイハイ」の連呼、まさに相川音頭の「ハイハイハイ」の合いの手ばやしです。子供に答えさせると、「それでいいのです。はい、できました」のほめ言葉を送ります。会津磐梯山の、

「モットモダ・モットモダ」につなげ'て終わっていました。

こんな姿だからこそ、北海盆明、相川音頭、会津磐梯山の授業だと悪口を言われるわけです。しかし、その比楡や皮肉はどうでもいいのです。問題なのは、私の詰め込み、画一の授業で、子供にやる気を起こさせ、わかる授業にするかということです。今までのような授業では、学習でのやる気を失わせ、また、わからず、できずの落ちこぼれの子供がでてきます。

更にもう一つ、私の授業は十五分から二十分位までは、「それからどうした」「ハイハイハイ」「もっともだ、もっともだ」で経過しますが、ここらでモタモタしているわけにはいかないので見切り発車にかかります。できない子供にかかわっていられない、どうしょうもない衝動にかられます。「ドウシタ・ドウシタ」の問い攻め、できる子供の「ハイハイ」それを受けて、「モットモダ・モットモダ」の合づちそれがうまくいけば文句はないのですが、「ハイハイ」が出なくなってきます。そのときが二十五分前後です。子供たちは沈黙、しんと静まりかえってお通夜のようなふん囲気、私のいらだちは腹立だしてに変わります。そして「こんな簡単なことが、わからないのか」「勉強しないから、だめなんだ」「だまっていないで何か言え」と憤りの言葉がとび出します。しかし、わからずできずの子供にはどうしょうもないのです。そこで私は「いいか、先生がよく教えてやるから、よく覚えるんだぞ」と、みじめともあきらめとも、なげやりともっかぬ言葉の続く後半の授業を展開していきます。

まさに授業開始二十五分の落し穴、悲劇です。このようなことが毎日、毎時繰り返されていたのです。以上が私の授業の体質だったのです。

そこで、「できるようになりたい……」と訴えて来た子供の心の奥にあるものを知ったとき、私はこのような授業では、子供は良くならないし、救われない。また、その子の願いもかなえてやれない。ということを、強く思い知らされました。

それ以来、私は「どのようにしたら子供がやる気を起こすのか」「どのようにしたら子供が理解し、できるようになってくれるのか」また、「一人一人の子供ができる喜びにひたれるような授業はどうしたらできるのか」を課題として、子供と共に取り組んでいます。今も、子供の一言一句を、心を開いて聞きとるようにしております。

 

 (舘岩村立舘岩小学校教諭)

 

 

 


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