教育福島0073号(1982年(S57)08月)-027page

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随想

 

可能性を求めて

 

水戸昇

 

水戸昇

 

教育本来の仕事は、生徒の持っている無限の可能性をいかに引きだすか永遠に変わらない鉄則である。

今日まで二十六年間この永遠の課題である「可能性を求めて」教科(社会)指導、生徒指導、卓球部指導を通してとりくんできました。

この課題へとりくむ「きっかけ」は教職について六年目、群馬県の島小で今は亡き斎藤喜博先生に指導を受ける機会に恵まれたことが、教育の持つすばらしさを見直す動機になりました。

今でも強烈に私の心に残っている言葉は「最大の教育設備は教師である」と声を大にしていわれたことです。

あのへき地校で魅力的な教師集団、生徒集団はどのようにして形成されたのか非常に興味ある課題でした。

ささやかな実践から、可能性を伸ばす条件(教師側の)とは何なのか、私は次のように考えています。

一、父兄、生徒から信頼される専門職として自覚ある行動をとれる教師

二、より高い目標をめざし、生徒と共に成長する教師

三、人間として立派になること(人格の形成)を最終指導目標とする教師

四、全国どこにでも通用する実力の育成に積極的にとりくむ教師

五、感動を経験させることを指導目標としている教師

六、指導の中で本物(人物、教材等)にふれさせる機会を多くしている教師

七、結果よりも努力の過程を大切にする教師

八、細かい配慮をして多くの経験をつまぜ、そこから気づかせていく教師

九、生徒の短所を直すより長所を伸ばすように指導している教師

十、どんな悪条件の中でも英知を働かせいろいろな角度から切りこみ、ねばり強く実跡している教師

このような考えを自分なりに持てることができたのは、すばらしい指導者との出合いがあったからである。

前述の斎藤喜博先生(元島小校長)唐橋東先生(現喜多方市長)半沢鐘吉先生(元坂下小校長)河野満氏(元世界卓球チャンピオン)いずれも各界指導者の第一人者であり、人間的な魅力はいうに及ばず可能性を求めて活躍した姿には尊敬の念で一杯である。子供らとともに

生徒に要求することは教師にも要求され、共に伸びていく姿は理想であるが、どちらかというと生徒の大きな成長に教えられることが多々ある。

印象深い教え子をあげれば

・骨肉腫で左足切断にもめげず十七歳の青春を精一杯生きぬいたK子さん

・半年前に父・祖父母の三人を失う悲しみを克服し県卓球大会に優勝し全国大会で活躍したM子さん

・小児麻痺で両足の不自由にも負けず東北卓球大会に出場したS君

・両親をなくして兄弟二人でアルバイトをしながら生徒会長も務めたT君

・劣等感を克服しインタハイ優勝校で活躍し海外遠征にも選ばれたu君

いずれも悪条件を克服し可能性を求めて挑戦した見事な勝利者である。

これらの生徒たちの価値ある努力の足跡を謙虚に学びたいと思っている。

生徒一人一人には、よりょく生きようと、努力してきたドラマがある。

より感動的なドラマが生まれるよう援助してやるのが、私たち教師の責務であると考えている。

現任校は三メートルを越す豪雪地帯である。六十七名が無限の可能性を求めて今後もがんばるつもりである。

素面素顔の人間同志が、素裸になり本当に通ずる教育をしてみたい。

知的にも、身体的にも、美的にも、道徳的にも、子供の全面発達を願いながら…。

 (金山町立横田中学校教頭)

 

子供らとともに

子供らとともに

 

 

 


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