教育福島0074号(1982年(S57)09月)-020page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

心のふれあい

 

星大子

 

星大子

 

毎日の多忙さを理由に生徒をその犠牲にしてはいけない。生徒一人一人の心を知り、私と三十五人の生徒がしつりかと心のきずなで結ばれ、ともに理解しあって進もうと、今年もその一方法として、生活ノートつづりを始めさせた。ノートを書く意義と趣旨を理解させ、内容、分量は自由とし、生活班ごとに週に一回提出ということでスタート。毎日、六冊プラス1冊のノートが私の机上に提出される。

プラス1冊として提出されるのがA子のノートである。

前に、A子の姉二人も担任したが、父親の無理解、怠惰な生活、母親も話がわからないといった問題のある家庭である。こんな中に育ったA子にとっては、家庭は心の休まる所ではなく、悩みごとも多くなるばかりであった。これに、本人のわがままも加わって、反抗的となり、ついに登校を拒否するようになってきたと思われる。家庭訪問を続けていくうちに、A子には心のはけ口を与えてやることがまず先決とわかり、毎日、生活ノートに心の内を書いて提出するよう約束させた。A子は、努力不足のため学力は低いが、作文力はあり、きちんとしたノートづくりをする特技をもっていた。その翌日早速、一ぺージ以上にびっしり自分の心をつづったノートを提出してきた。「心配かけてすみません。私だけが特別に毎日生活ノートをだせるなんてとてもうれしいです。先生の話を聞いて目がさめたような気がします。……どんな気持も優しくうけとめ、それに対して力になってくれる先生…。私のよような気ままな人間はいないだろうと思ってます。……毎日学校に行くことを誓います。」

これを第一ぺ−ジに、それ以後毎日心の便りの交換が続いている。父親のこと、家庭のこと、自分自身どうしてよいかわからないことなど。少しずつ心が落ち着いてくるとともに、授業・部活・そして家庭がいやだなどということをのぞかせながら、友達・将来のことへと内容が発展していった。書き方がうまいとほめると、次の日にはすばらしいアイディアを生かして書いてくる。今では、すっかりよくなっているとは言えないが、心は少しずつ平静になってきた。「何でも書きます」ということで始めたノートは、一冊を終わろうとしており、かなり重くなった感じである。

ほかの生徒のノートにも叱責に対する抗議、規律に対する不満をつづったY男。不思議とやる気がでて、励ましに感謝の気持をつづるほど進歩してきたM男。といったように心のふれあいをつづっている。

返事を書く時間がなく、その日にノートを返せずに、翌朝四時ごろ赤ペンによる対話が続く時も多々あり、また、生徒の文章よりも返事が長くなることもたびたびである。

生徒はそれぞれ、悩み、言い分を持っている。それをいかに素直にはき出させ、それにどのように指導の手を加えていくかということが、対話するゆとりが少なくなっている現在でも特に大切であると思う。A子を通して学んだことは大きい。生徒は教師とのふれあいを求めている。教師は積極的に生徒一人一人の心をうけとめて、生徒とともに悩み、喜ぶことがさらに必要と思われる。何年か改善しながら続けてきた生徒との心の便り、生活ノートを今後も自信をもって続けていきたい。そしてこのノートを通しての生徒との対話が、生徒指導の重要な一方法であると、自分を励ましていることごろである。

(大熊町立大熊中学校教諭)

 

心のあしあと

心のあしあと

 

 

 


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