教育福島0074号(1982年(S57)09月)-021page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

新採用のころ

 

佐藤博重

 

佐藤博重

 

教師になってから、初めての夏休みが終わった。朝から陽射しが強いある日のこと、どうにか教員生活にも慣れてきたと油断していたわけでもないのだが、登校途中のできごとである。不断やさしく、なにかと私たち若い者の面倒を見てくれているある先生が、校門の近くで突然大きな声を張り上げて怒鳴った。

「なんだ、その格好は!」周りには、数名の生徒と、そして私。当然、また生徒の奴らに対して、下駄履きか、それとも、だらしのない服装についての注意かと思った。

でも、ちょっとようすが違う。私の方を見て、私を指で差している。すぐに周りの生徒を見ると、“ニヤー”と笑って通り過ぎて行く。その瞬間、はっきりと大きな声で

「キチンとネクタイを結べ」

「だらしのない結び方をするな」

と、あまりの迫力に立ち止まり、私はすぐに

「ハイ」

と言って、その場で結び直した。

しかし、今考えて見ると、自分ながらどうして素直に注意を聞き入れ、返事ができたのか不思議だ。新任早々であるため、ほんの細いことまで気を使い、それでなくともなにかにつけて理屈を言い身構えてしまう、そんな自分であったからである。

そう言えば、新採用教員として初めて赴任して以来、親身になってお世話をしていただき、私にとって実に色々の意味で大変な指針を与えてくれた尊敬すべき先生であった。その中の、ほんの一部を紹介すると、

私は、大変な悪筆である。ところがこの先生が言うには、

「高等学校の教員には、字が下手であるのに練習をしない者や乱暴に書く者が多い、練習をしない者が上手になるはずがない。せめて丁寧に書くように心掛けるべきで小学校や中学校の先生方を見習うべきである」

と、そんなことから、六十の手習いならぬ毛筆を習うことにしたのだが、作品の善し悪しを全く知らない私は、でき上った数枚の作品の中から、この先生に毎日一枚を選んでもらう。それを一か月間続け、約三十枚の上から、また一枚を選んでもらい提出すると言う雑作を繰り返し煩わした。

また、大変苦労したものにテストの問題用紙作成がある。現在のような印刷機器がなかったので、ヤスリ板と鉄筆で原紙を切り、やっと印刷を行う。でも、力の入れ方が分らないために、破いてしまったり、手の汗で“ロウ”が溶けるなどしてできた問題は、著しく濃淡の斑ができてしまう。ベテランの先生方のそれは、まるで活字を組んだように綺麗で、とても並べては見られない。

これについても、ガリ切りの初歩から懇切に教えてくれた。

「時間をかけて、一字一字を丁寧に書け、全体的な配列や変化も工夫して、一つの作品として……」と。

このように、毎日の生活を通して、教材研究や生徒指導、部活動に関することなどはもちろん、私たち若者の考え方や相談にも夜遅くまで耳を傾け、ある時は、昔の得難い体験談を折り混ぜた思い出話を誇らしげに聞かせてくれもした。

口先だけで物を言い、その場かぎりの説明をし、見て見ぬふりをする人が多い中で、このような厳しく温かい心のふれあいが身構えていた心を解きほぐし、素直に注意を受け入れ、前にもまして信頼感が強まってきたのだ。

新任早々の大事な時期に、ことの善し悪しをはっきりと指摘され、教えられ、しかられたことは今までの教員生活を振り返ってどれほどプラスになったことか、改めて感謝の気持で一杯である。

現在の多様化する学校教育の中では今こそ、私たちが一人一人の立場を認識し、自覚し、お互いに協力しあい、心から信頼し尊敬できる、そんな心の強い結びつきが必要とされているのではないだろうか。

それにしても、上手に注意をしたり自信をもってしかる先生が少なくなったと感じるのは、私が昔を懐かしむあまりなのかと、さびしい気もする今日このごろである。

 

(福島県立白河高等学校教諭)

 

 

 


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