教育福島0074号(1982年(S57)09月)-023page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

食べるなと一喝

 

江川治三郎

 

江川治三郎

 

その頃は、どこの家庭でも子供が多く、その多い子供を各家庭ではどのように育て、どのように脱けたのでしょうか。私の家は(男四人、女三人の)七人兄弟に、祖父母を加えて、総勢十四人の大家族でした。毎日の食事は、母、がこころをこめて作るのですが、それは子供のこと、時にはご飯がまずいと不満を口に出すこともあるのですが、それを父親が聞いたものなら忽ち、父親の雷が落ちてきます。「人間、三日食わねば、どんなものでも旨くなる。まずく作ろうとする馬鹿はどこにもいない。折角作ったものがまずくて食べないと言うのなら、旨くなるまで、何も食べずに三日待て。そうすればどんな食事でも最高のご馳走になる」と、父親によく怒鳴られたものです。その度に目をつぶり、よくも噛まずに飲みこみ、後から小粒の涙のでてきたことを記憶しています。

最近、毎日のように青少年の非行問題が報道され、わけてもその低年齢化と内容の凶悪化が大きな社会問題となり、それは今後ますますエスカレートして止まることを知らない様相を呈しています。関係者はその都度、対策に頭をなやましています。PTAをはじめ、あらゆる関係団体が会議を開き、その原因の糾明と対策を話し合うなかで、必ずといってよいほど、青少年の非行原因の一つに、精神面のもろさがその重要な要因ではないかという意見が多く出され、また、生れた時からの家庭での朕にも問題があると、一様に口をそろえて言われます。しかし、非行青少年の家庭では、子供を真剣に育てなかったのか? というとそうではなく、わが子のためには人一倍、一生懸命に可愛がり、熱心に育てているにもかかわらず、なぜ?と関係者は頭をかかえる場合が多いのです。そこには、事に臨んでどのような態度で子供を脱けるかという、親の態度に鍵があるようです。

私を育ててくれた親の態度と、現在の子育てをする(ある一部の)親の態度を較べてみますと、食事のとり方一つをとってみても、私の場合は母の作った食事を十四人の家族が一度に食べるのですが、まず、おかずを家族平等に分け、ただし祖父母は別格で、おかずも一品は多く、ご飯と味噌汁は自由です。当時は、米不足で麦・馬鈴薯・大根などを一緒に炊きこんだ、いわゆる混ぜご飯で、食事の時はその中から中取り(米だけの白いご飯の部分)を祖父母と来客用に分け、私たち子供は米の余り入ってない「かて飯」を食べました。しかし子供心に中取りご飯を食べたいと思い、つい先に述べたような不満をいっては、父親の雷をくったわけです。また葉子の分配にしても、母が七等分した菓子をわれ先にと、少しでも大きい方を取り合ったが、不在者のある時は必ず一番大き目のものを残しておくきまりでした。たまに大きい小さいで兄弟喧嘩になると、父親が大きい目でギョロリとにらみ、「菓子があるから喧嘩になる。無ければ仲よくできる。菓子は俺が食う」とペロリである。後はみな泣きべそばかり。

今は、子供が食卓に呼ばれても、おかずをみて気に合わぬと、「まだ食べたくない」といって立ち去り、ものの数分もたたないうちにインスタント食品をたべるのである。おやつの菓子も分配して大きめの取り合いする必要も、不在者の為に食べずにとっておく必要もない。食事は人間のもっとも基本的欲求である食欲を満たす場ですが、人間として基本的な躾である我慢・忍耐・思いやりなどの社会性を養うのに大きな役割を果たす場でもあります。

溺れるほど多量な物質文明の波に、今は何か重大なものを、知らず知らずのうちに失っているのではないでしょうか。先日、会津地区高校PTA指導者研修会で講師の小林貞治先生は、「子供は教育によってのみ人間になるのであり、教育のいかんによっては動物に近い人間にもなる恐れがあり、特に子供の時の教育の重要性ははかり知れない」と話されました。大賛成です。私達が育った当時の我慢と抑制をそのまま現在にあてはめるつもりは毛頭ないのですが、しかし、私は食事のこと一つとってみても人間としての基本的な教育のすべてを受けたような気がします。時代背景の違う今のご時世を天国からなんと怒鳴ることか?。父親の雷を聞きたい気のする今日この頃です。 (福島県立喜多方女子高等学校父母と教師の会会長)

 

 

 


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