教育福島0078号(1983年(S58)01月)-008page

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提言

 

たかが野球、されど野球

 

蔦 文也

 

筆者紹介

 

筆者紹介

昭和四十九年「さわやかイレブン」を率いて、選抜初出場、準優勝をかざり甲子園をわかせた。五十四年春・夏と甲子園へ連続出場。夏は準優勝。昨年の六十四回選手権で念願の全国制覇をし、深紅の優勝旗を手中におさめた。今や、高校野球の象徴的存在だが、選手としても著名。昭和十四年徳島商一塁手として甲子園初出場。十五年には投手として春・夏連続甲子園のマウンドを踏んだ。同志社大に進みエースとして大活躍、四年間春・秋すべてを優勝に導いた。学徒出陣し最後の所属は「神風特攻隊千早隊」。大学卒業後、「日本製鉄広畑」「オール徳島」等で活躍。オール徳島が「ベーブルース杯争奪大会」で優勝したのを機に東急フライヤーズに入団、が一年で退団。退団理由は、「まだ(秘)」なそうな。二十六年池田高校に社会科の教諭として赴任、二十七年から野球部監督に。四十六年の甲子園初出場を経て、ちょうど三十年で全国制覇。

酒をこよなく愛し数々のエピソードの持ち主である。「歯に衣着せぬ人間臭いパーソナリティが魅力だ」とは氏のファンの一致した見解である。あの澄んだ目に託した情熱を、また甲子園で拝見したいものである。大正十二年生。徳島市出身。

 

野球は、ただ単にスポーツにとどまってはならない。

野球を通じてフェアプレーの精神や、いかなる困難に出会っても、これを克服することのできる強健な身体をつくり、また、全国優勝という幸運にめぐりあっても驕らない。たとえ敗者となる非運にあってもくじけない情意を養い、そして、大人の集団に仲間入りするために必要な社会性や人生観を確立することが大切なことだ。

今日の高校生は、野球に限らず、なにかスポーツに長じていれば人間性がどうであってもよい、まして勉強などはしなくてもよいといらような甘い考えで、日常の生活をすごしているような気がする。

高校生は、子供の集団と大人の集団のいずれにも属する「マージナルマン」 (境界人)といわれ、過渡期の疾風怒濤の時代を生きぬいていると考えれば、悩みの多いこの時代をスポーツを通じて、彼らが将来大人の仲間入りに必要な課題を達成してやることが我々に課せられた使命であると、常々考えている。それは、野球だけではなくスポーツ全般にわたっていえるここだが、野球は、教育の一環として行われるという意味はこのへんのところにあると思う。野球を通じて思いやりのあ

 

 

 


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