教育福島0078号(1983年(S58)01月)-036page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

求められるもの

 

日高武夫

 

日高武夫

 

教育は、次代を託す身心ともに健全な国民を育てることにつきる。

しかし、非行、中退者の増加などの問題をかかえながら、「ともかく難しい時期」「時代の流れ」とばかり嘆いてはおれない。避けては通れないものとして、新しい方向を、模索している昨今である。

生徒が今日および、今日以後の中で最も豊かな幸せを得られるような、人間の基礎づくりに、全力を傾けることを使命としている限り、教育をとりまく諸条件から、今日ほどその使命の自覚を要請され、期待されていることはないであろう。

さて、経験がながいというだけのわが身に、若き教師におくることばなどおこがましいが、数多い若き教師との出会い、つたない経験を通して、若き教師に求められるものを、雑感として述べて見たい。

現在の若い教師は、教育に対する意欲も高く、熱心である。ただ、集団としての生徒をどうつかみ、動かすかという教育技術に、関心が薄いように感じられる。学校は、集団としての生徒が対象であり、この教育技術が、教師としての、一つの基礎的条件と考えるとき、学習集団としての共通の学習の目標、集団としての一つの雰囲気にまとまりをもったものにすることが必要になってくるのは当然である。

勿論、相手の生徒によっても違うものだろうし、ベテランの教師でも是とは言い難いかも知れないが、若い教師の情熱をもって、克服することを期待したい。

次に教師の一言は、人間関係をあたたかく、豊かなものにするということを痛感させられている。教師に対する生徒の信頼度の低さは、残念ながらなげかわしい事実として認めざるを得ない。

よく生徒の生活指導において、欠点のみの指摘や知能の価値観だけを主体とする教師の姿を見聞することがあるが、再考させられる問題である。

わたくしも、若い教師時代に苦い経験をもっている。入学早々、A君の個人生活指導のおり、新しい高校生活のあり方を諭すつもりで、中学校時代の非行を強くいましめたが、十数年後の再会時に「なぜ忘れ去っている過去のことまで……」と涙ながらに訴えられなにかを教え子が残してくれたと、今でも脳裡を離れない。

個性の尊重、自主性や創造性を高める教育が大切であること硬論をまたないが、それを推進するためには、教師の温かい思いやりの心が基盤でありまた、生徒の成長の過程の中で「心のふれあい」の重要性を学ばせ、体験させることにもなるであろう。

進学率九三パーセントが示すように国民的教育機関としての高校教育の現状を把握し、これに対応する教師自らの反省もしかるべきであると考えるのはわたし一人だけだろうか。

また、多感な青年期をともにすごす教師のあり方が、生徒たちのその後の生き方に計り知れない影響を及ぼすものであるとよく言われるが、味のあるそしてかみしめたい示唆でもある。

「くつろいで話しあった先生の意外な面や、性質などを知りうることができた」などと教え子たちの言葉を聞くが、例外なく、部活動の思い出であり若き顧問とのふれあいの場が多い。年齢的な違和感も少なく、気さくに話し合える立場にある若さを大いに誇りうる特権として活用してほしいものである。授業の優れた指導者であるとともに、部活動を通して生徒との相互理解を深め、よき相談相手であることを念じてやまない。

(福島県立双葉農業高等学校教頭)

 

心のかよいあいを

心のかよいあいを

 

 

 


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