教育福島0078号(1983年(S58)01月)-038page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

「趣味」を生かそう

 

白井政弘

 

白井政弘

 

私は、若いころから、平凡で、常識的生き方をしてきたが、特に教師となってから、何かにつけ反省と後悔が残り、今更ながら力不足に自責の念が脳裡を離れない。

三十余年の間、この道の厳しさを体験したが夢中で過ごしたように思う。その間、目まぐるしく変貌する社会にあっても変わらぬ教育の理想を求めた純粋な時代にも、中途半端な結末が多く、人に誇れる業績もなければ、後輩にアピールする材料もない。

ただ私なりに、多くの先輩方の人格や経験豊かな指導法から何かを学び、それを現場で応用実践することを心掛け努力もしてきたが、それは今でも変わりない私の信条となっている。迷いの多かった私の生き方に、ある方向を示してくれたのは、今は亡きある先輩である。幅広い人間形成のために趣味の役割を説き、「釣り」を教えてくれたのが動機となり、以後、「釣り」を人生の友としている。

誰でも一度はっき当たる壁、三十代の初め、私は病弱な家族の看病と重なり公私にわたり負担を感じ、授業や部活動にも自信を失い、生徒の不信感を身に感じながらも何とか耐える努力をしていた。そんな惨めな姿に、慰めや同情する生徒もあって、弱気がつのっていたとき、釣りの奨めと誘いをうけたのである。

子供のころ遊んだ釣りではあるが、心の余裕もなく、加えて殺生を趣味とすることを邪道と思い初めは躊躇したが、気分転換と見学だけなら、と思いし同行を約し、指示に従って、日曜早朝の只見行列車に乗った。先輩は、すべての準備と弁当まで用意してくれた。私は軽装で、昼食は途中でパンでも買えばよいと思っていたが、目標は山深い渓流「岩魚」と聞かされ、自分の迂潤さ、軽卒さを恥じ、後悔したが引返すこともできず、予定のコースを辿ることになった。途中の道筋、谷間を流れる川の音と大自然の調和が私の心をとらえ、次元の低い悩みに喘ぐ自分に気付く。後悔や杞憂は消え、迷わず何事にも集中できそうな活力も生まれた気分になった。目的地に着き、指示されるままに借りものの用具に餌をつけて釣り始めたが雑念が多く、集中できそうにない。

準備や心構え、天候や釣り場の選定、魚の習性や餌の適否、安全性など、細かい心配りがなされることを知る。これは何か教育と無関係ではなさそうに思えてきた。対象は魚でも、事前の準備研究と、多様化する環境に対応し、個性や能力を理解した上で、餌を選び喰いついてくる工夫や努力を怠っては成果は得られない。ボンヤリ考えていた時、確かな手応え、十センチぐらいの山女だった。先輩は「子供だから離してやれ」記念すべき成果を…と思ったが忠告に従う。環境を守り「掟」に従う釣人のマナーは、同時に未来の可能性と期待につながっている。

過ぐる日、機会があって稲葉文相のお伴をして釣りに同行した。流石は名人、風格ある自然体に感銘する。宿舎で、教育論と「釣り」の効用を拝聴し頂点に立つ教育人の含蓄ある言葉が期せずして私が感じていたものであり、意を強くしたことが想い出される。

社会は、急速に発展している。釣りの世界でも技術革新の渦中にある。特にアユ釣りの場合など典型的、魚の知能も向上し旧態依然では容易につれない。

利口になった魚を、つる法を常に追求すること、ブームにのって参考書が店頭山をなす理由がうなずける。根気と忍耐をモットーとした私の釣りは時代遅れ、頑固にクラシックを貫くつもりはないが、価値と楽しみを求めて、更に勉強し追求しようと思う。

私は今、釣りとともに囲碁を趣味としている。どちらにも共通するものを感じる。対象が自然と人間の違いはあるにしても。

碁の方は自慢になる腕がないので欠格者である。老後の楽しみとボケ予防に良薬と聞いて、ますます精進努力をするつもりでいるが、三十の手習い、能力の限界が、実益まで考えたことがあったが夢は消え、今は、ただ勝敗にこだわり、勝って驕り、負けて沈む、まだまだ悟りの境地に遠い。それでも本を買って読む。

追求する心を忘れないように…。

 

(福島県立会津第二高等学校教論)

 

 

 


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