教育福島0078号(1983年(S58)01月)-039page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

房総・白浜の一夜

 

橋本秀夫

 

橋本秀夫

 

高校勤務の現職を離れて、早くも、満十年が過ぎた。平常は特に教育に就いて考えているわけではないが、小学校に通う子供たちを見たり、時折列車やバスの中で、中、高生が元気に話し合う姿などを見ると、遠く去った自分の小学校時代のこと、其の後、郷里を離れて寮に入り、学窓生活をしたことなどが夢の様に思い浮かぶ。更にまた世に出てから、長い年月教職に身を置いた各学校、及びその近辺の風景が、懐しく目に見える。自分にしては、現職を去って、まだ短かいように思っているが、何時の間にかもう一昔という歳月が流れて行ったのだ。

 

晴天の心地よい日の午後など、私は時折住居近くの静かな所を一人歩きをする。帰りはいつも環境のよい高校わきの道を通る。放課後の運動場は野球や陸上競技の猛練習で見事な風景だ。私は外野方部の小高い丘に腰を下ろしてしばらく眺め、また考えたり…。この若者たちが成長して三、四十歳の働き盛り時代になる頃には、我が日本の国はどういう風に進展しているであろうか、急激なる技術箪新時代と称される現在及び今後、国内も世界中も、益々生存競争が激しくなって来るであろうが、明朗活発、積極的に生きる人には愉快な時代となるであろうなどと。

現職から離れて長い年月を経過すると、特にその道に関係している人々の外は、概して将来の教育等に就いて語ることは少なくなるようである。思い出や感想は皆持っているであろうが。

私も退いて既に十年、日進月歩の今日の新しい教育界には随分おくれたことと反省している。毎年、夏や冬の休みの時期になると、かつて私の同僚で教職に活躍して居られた人々が訪ねて来て下され、愉快な歓談に長時間過ごす。現在は異なる方部に居るので、各々自分の学校の発展ぶりや生徒・クラブの活動状況などを語りきかせてくれる。おかげ様で聞き手の私は、楽しみながら新しい耳学問を得ることができる。

 

去る九月の中旬、私は千葉に住む一旧友のT氏から丁寧なる誘いの便りを受けたので、二泊三日、千葉県房総半島一周の小旅行に出かけた。二日め房総東線(外房線)沿いの三か所に遊び、午後、鴨川、江見などを造進後、千倉駅に着いた。付近の景を賞美、小休止後バスで、半島最南端白浜の海岸に到着した。台風気味のむし暑い曇天の一日であった。南東方遠く広がる太平洋と北方陸地の松を頂く丘陵連なる風景がよく調和して、眺望まことに絶佳と言うべき所である。野島崎灯台付近の岩石並ぶ水際を歩調ゆっくり散策して予定のMホテルに向かった。T氏はこの地方の旧蹟、伝説など簡潔に、そして要領よく説明してくれた。

外は、雨が来そうな空模様で,薄暮が急に暗さを増えて来た。秋の海辺の観光者は少なく宿泊人も極少数だ。静かな旅の宿である。夕食も早めにとった。友人T氏は何かの用事で廊下に出たが間もなく大きな笑声をひびかげながら三十を一寸過ぎたくらいの二人の青年を連れて、室内に入って来た。聴けばこの両者は、T氏がC大学教授在任中の学生で、直接の教え子、今このホテル内廊下で偶然出会ったという。T氏は二青年と私をT寧に、交互に紹介した。二青年は、共にこの県内の高校教諭で専攻教科も、T氏指導の書道も、実に成績上々であったとのこと。我々四人は、同じく教育の道に関係しているというわけで、親近感をもち、時を忘れて歓談二時間余に及んだ。旅行、スポーツ、文学論、授業の苦労談など。青年の一人は、国文法に興味を持つという。尋ねられるままに、私も大いに語った。「日本語を愛し、日本語を正しく生徒たちに教えて下さい」「巷に氾濫する乱雑なカタカナ英語や野卑な言葉に押されぬよう頑張って下さい」と結んだ。丁寧な挨拶をして、名残を惜しみながら二人は自室に去った。

T氏と私はまた一時間程語りつづけた。有意義な旅の一夜だ。若い人と語ることはいいなあ…。我々は同感であった。

 

かすかに、波の音が聞こえていた。

 

(元福島県立飯坂高等学校 現福島女子短期大学講師)

 

 

 


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