教育福島0080号(1983年(S58)04月)-028page

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随想

 

春はめぐる

 

中畑 満

 

中畑 満

 

新学期がスタートして間もない四月のある日、五月の若葉のような、さわやかな心が届いた。中学三年生になった教え子らの修学旅行のおみやげである。

包装紙に身をまとっていたものは、「ゆず餅」であった。

小さく仕切られた箱の中に、一つ一つ丁寧におさまっている芳しい香りいっぱいの「ゆず餅」は、淡い光を返しその中に「先生、つまらないものですが…」とほほえむY子を映し出した。

小さな一口の餅に、確かな歯ごたえはあった。口の中いっぱいに広がる香りと味は、お茶をまたおいしくした。

早速、お礼の書状をしたためると、折り返して、封書の声が届いた。

かつて、このY子たちと、楽しい読みを追究する日々があった。はじめて「幸福について」の卒業論文を書いてくれたのも、この子たちであった。

ある時、椋鳩十の「大造じいさんとガン」を読んだのがきっかけとなって私の家に「すもも」の木が贈られることになった。たぶん、五十円ほどだったと思うが、小遣いを出し合って、三本の「すもも」の木を贈ってくれた。

その時、私は、お礼のことばをこう記していた。

「私ときみたちの記念樹『すもも』は私たちみんなの友情、健康、希望のシγボルにしましょう。やがて、大きく育って雪のような清らかな白い花をつけるとき、私は、この樹の下で君たちを思い出します。そうして、甘ずっぱい実がうれるころ、だれとはなしにこの実を食べに来てくれることを楽しみにしています」と。

あれから五年、今年も雪のように白い花は枝いっぱいに咲いてくれた。.一本は、虫に幹をいためつけられ枯死寸前になったが、どうにか再生した。昨年、初なりの二本の木に赤みがかった実が、枝をたわめてみごとになった。

子どもごころとは、何と愛しい、尊いものか、そしてまた、何とおそろしいものなのであろうか。

「もうひとりの自分に克つ」「もうひとりの自分を高める」と、学校の教育目標にいじらしいほどに燃える子どもたちはこわい。一晩中かかって、四千回も十円玉の裏と表の出る確からしさを調べてきたり、生い立ちの記を原稿用紙で百枚以上も書いてみたり、朝の持久走で、一周二百メートルのトラックを二十周も走ったり、と。

また、先生が遅れたからといって、給食を食べないで待っていてくれたり遅れている友だちのために、いっしょに持久走をしてくれたり、「先生、少し元気がないみたいです」と顔をのぞきこまれたりすると、相手が子どもとは思えない気持ちになることがある。

こんな心にふれるたびに、私は、教師として、自分の姿が本当に子どもに恥かしくないのだろうかと、思わず考えさせられるのである。

馬は、乗り手を見るというが、子どもは、教師次第でどうにでもなる。いい騎手に乗られた馬は軽やかに全力疾走し、だめな騎手に乗られた馬は駄馬になる。玄人の教師が子どもの前に立つと、それだけで子どもは静かになり心の耳を立ててくる。

教育環境の最大のものは教師であることを考えるとき、教師ほど、人間性を看板にして生きなければならないものはないかもしれない。また、これほど職業を通して自分自身が高められるものはないかもしれない。私は、よき子どもたちにも恵まれてきた。よき先輩たちにも恵まれてきた。「教育は、教師と児童の信頼と愛情によって成立する。信頼は、教師のひたむきな使命感に燃えて行動する後姿によって生まれ、愛情は、子ども一人一人の深い理解と親心にも似た温かさと厳しさの調和から生まれてくる」とこの意味を悟してくれたのも先輩である。

再び春はめぐり、今年はまた新しい五年生の子どもたちと出会えた。先輩が教えてくれた「学級づくり六週間」に新たな夢がふくらむ。

「同胞友あり、自ずから相親しむ。君は川流を汲め、我は薪を拾わん」

愛しい、そしておそろしい子どもごころに支えられ、子どもごころに授業でお返しできる、そんな年輪を今年もまた刻むべく努力をしていきたいと考えている。

(白河市立白河第一小学校教諭)

 

 

 


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