教育福島0081号(1983年(S58)06月)-024page

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随想

 

はやく学校へ行きたい

 

桑名 昌徳

 

桑名 昌徳

 

太平洋を東に、塩屋崎ゴルフカントリークラブを西に望める交通の便にも自然にも恵まれたこの分校に三十六名の子供が就学している。

十八歳の中学三年生。年中ベッドサイドで学習している小学一年生。話すことができずベッドで演歌のカセットテープをきくことだけに興味ある男の子。野や山を駈け回る年ごろなのに、治療のためここに就学している。幼くして、親と離れるつらさから、親子で手をとりあい、泣き泣き翠ヶ丘病院に入院、数年にして、家族としての立場がなくなり、お正月にも里帰りしたがらない子。退院できないのに、横浜の自宅に帰る日を指折りかぞえている子。多様な子供たちを対象に、病棟のベッドで、分校の教室で、授業が今日もすすめられている。

翠ヶ丘分校は、施設併設の肢体不自由養護学校で、心身に障害をもつ子供一人一人に、最も適切な教育の像を求めて、開設から八年間、校舎も整備され、多くの人々の願いがこめられて、たくさんの子供が就学してきた。

これら心身に障害をもっている子供たちは、学校で、あるいは病院でそれぞれの人生をせいいっぱい生きようとしている。

そんな中で、中学部のKは、長い間ベッド学習を続けてきた子である。たまに、よくなったといって本人がよろこんでバギー車で学校にやってくると先生方もわがことのようにほっとした気持ちになるが、しばらくすると、またベッド学習にもどってしまう。

しかし、このような状態のKが、いろいろな制約を受けながらも、ベッドの上で学習できるのは、施設併設の養護学校だからこそである。

ベッドの上での学習が、短期間で終わる子はさして問題はない。しかし、Kの場合のように、半年も、一年もベッドで学習しなければならない生徒の場合は、いろいろな問題が起きてくるのは当然である。学習の面でのおくれはもちろんのこと、生活の上でも心の安定という面からみて、大変大きな問題が起きてくる。

翠ヶ丘病院という施設で生活しているこの分校の子供たちは、日常生活が変化に乏しいし、自由に町に出ていくこともできない。子供たちが最も楽しみにしているのは、運動会とか、学習発表会などの行事と、学校の外に出ることができる遠足、校外学習などである。

Kは、運動会や学習発表会などには見学はできるが、遠足や社会見学には全く参加できない。相変わらず、ベッドの上でるす番をすることになる。そんな時のKの顔は、本当に見るに忍びない。ある時は、じっと平静をよそって平気な顔をしているが、内心はどんなに悔しいか、朝からにこりともしないで、テレビを見ている。そしてある時は、目にいっぱい涙をためて、ベッドにもぐりこんでしまう。かわいそうだが、何とも手のほどこしようがない。わずかに慰めなのは、友達が、Kのためにお土産を買ってきてくれることである。Kは友達からの贈りものを手にした時、わずかにほほえんで一静かに「ありがとう」と言う。

Kは、ふと「早く学校に行きたいな」と、つぶやく時がある。これは、Kの心情を最も端的に表現した言葉であろう。学校が、そして勉強が好きなわけでは決してない。一日も早く、ベッドの上だけの生活から離れ、せめて学校の中だけでいい、バギー車に乗って自由に、行きたい場所に行けるようになりたい。そんなKの心からの願いがこめられている言葉なのだ。

私たち教師は、学習指導や精神生活の面で、学校や施設では、治療や日常生活の面で、慰めたり、励ましたり、時にはきびしく、可能な限りの努力はしているつもりだが、はたしてそれがKにとってどうなのか、指導に不安を覚える時もある。

そんなKが、何か月ぶりで学校にくることができるようになった。まるで人が変わったみたいに、生き生きとしてバギー車に乗り、にこにこして「おはよう」と挨拶している。私たちは、Kのそんな笑顔をみると、心からほっとする。長い間胸にたまっていたしこりが、すとんと落ちたような気持ちになってくるのである。

(福島県立平養護学校翠ヶ丘分校長)

 

 

 


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