教育福島0082号(1983年(S58)07月)-007page

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する神経のはらい方など、いろいろな要素によって変わってくる。

このように、心次第で異なる反応を示す人間だからこそ、おもしろいのである。ましてや、二人の人間が競技するのだから、二つの心が互いに作用し合っておもしろさも倍増する。

もし、競技者Aが、先に自己のペースに入り、一方、Bが自己のぺースをつくりあぐねていれば、Aは益々調子づく。反面、Bは、一層ペースを乱し、果ては、焦りからお手付きも出る。すると、Aは、相手の自滅により、苦労せずして勝利へと導かれる。これは、二人の精神状態が相互作用した結果である。

ところが、大差も油断ならないもので意識的に気分のひきしめをしないとたちまちミスを招く。すると、Bは、水を得た魚のように猛反撃ということになりかねない。その上に、一度緩んだAの気持ちは、なかなか立て直しが効かない。結局、兎と亀の競争のようにAは居眠りから覚めないうちに負けてしまったということになる。勝負は、最後までわからない。

練習を積んだ実力者は、人間といえども、相手によってなかなか動じることはない。それは、たとえ不調であっても無闇に取ろうとせず、自分の気力、集中力、札の配列の記憶など、全ての条件が一致する時を辛抱強く待つことができるからである。

あらゆる条件を一時に集約することは、並大抵ではない。取ってやろうという気持ちばかりが先行して冷静さを失ったり、気力が充実しているのに札の配列の暗記が不十分だったり、記憶が鮮明なのに体が思い通りに動かなかったりして苛立つものである。

しかし、自己をうまくコントロールして、全ての条件を満たしたその瞬間のプレイを「神技」と呼ぶのではなかろうか。精神状態により、機械を越え神に近づく人間の力の不思議さを、私は、かるた競技を通して感じ、限りなく興味をおぼえる。

 

競技中の筆者(右)

競技中の筆者(右)

 

 

 


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