教育福島0086号(1983年(S58)11月)-007page

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昭和五年は、会津若松市城西小学校に赴任した年である。経済界には不況の波が押し寄せてきた頃で、教師や子供たちにも、いろいろな点に影響があった。比校的裕福な学区ではあったが、理髪屋に行けば髪は伸び放題にしている男の子、風をたけてばさばさにしている女の子が何十人もいた。

これを知った学区内の床屋さん七軒が、月一回の公休日を半日だけ学校に集まり、講堂で散髪したり、風とりの薬を髪にふりかけたり、オカッパに整髪の奉仕をしてくれた。

一年の終わりに、何をもってお礼にかえるべきかということが、職員会議の問題となり、結局、感謝状を贈ることに決定した。職員の中に中等学校の習字科文検を受けるための勉強をしていた大先輩のS先生がいたので事は難しくない。当然その先生が書くべきものと思っていたところ、その先生に書かせず、校長は私を呼んで「君、書いて見ろ」という。毎年ほとんど六年生を担任しているので、卒業証書は書かざるを得なかったし、同学年の女の先生などは、こっそり私に依頼してくる。そのくらいのことは、何とか書いた程度で、感謝状という、まとまつた型の中に入れることなど、到底及びもっかない。私は再三辞退したが、「ならぬことは、ならぬ」の日新館童児訓そのものの言い出したら一歩も退かぬ厳格な校長であるから取り下げてくれない。私は止むなく、近所の醤油会社、酒造会社などを尋ね、感謝状なるものの姿を見せていただき、二、三日後、何枚かの中の一枚を 持って校長室に臨んだ。校長は見向きもせず、何か調べ物をしていた。恐る恐る恥を忍んで差し出した。校長は、しばらく見ていたが、「なあんだ、君うまいじゃないか。これではりっぱなものができる。これからは、学校のすべての簿冊の表紙は君に頼む」。

三十二学級、千八百人の児童数の大校である。教案簿、出席簿、学籍簿は、今のように活字の時代ではなく、全部筆で、昭和○○年度○○簿、○○学年、○○訓導まで書かねばならぬ。年度初めまでの三月の休み中に書くのだが、まずく書けば、どうしょうもない。市指定の帳簿屋が特別につくった帳簿であるから、こっそり、お願いしてつくってもらい、書き直しして先生方に差し北げたりして、苦労を重ねた。ところが、文検受検の字の上手な先生が、見るに見かねて、私にしんみり教えて下さった。「君、どうせ書かねばならないのだから、正式に目標をもって基本からやれ」。すぐに参考の法帳類を買い初めた。それを知ってか、現長は、校費で参考書を求めて下さった。校長に「うまい」と誉められたことが、私の一生を左右してしまった。誉めることの大切さ、教育は一つ叱って二つ誉め、何十年後の老骨も誉められてうれしくないことはない。

私は師範学校入学前の十四歳二か月で教員の免状をとり、母校の教員となった。同級生が女子補習学校の三年生、一年先輩が四年生で、その連中は先生とは呼んでくれなかった。しかし担任させられた尋常二年女組、何を教えたか覚えはないが、唱歌も体操も教えたのだから、今にして思えば穴があったら入りたいくらいではあるが、教育愛は学校を卒業してから本物の先生になってからの情熱よりも遥かに大きかったと思う。三十七年間の教員生活、地方教育行政十四年、現在は書道雑誌の主宰者として、教育関係に従事すること六十七年間、誉めることによって、何事も持てる力を引き出してやることに努力、いわゆる「宝蔵自開」の一貫した精神で指導に当たっている。

幸い健康に恵まれているが、健康であるとか、弱いとか、そんなことは意識していない。書道によっての喜び、テニスによる県内の優勝十数余回、明治神宮大会出場五回、また音楽教師として女学校に兼任七年間、篆刻、刻字を愛し、高校、福島女子短大書道講師生活、叙勲、県内最初の書道人としての県文化功労賞受賞、郷里会津坂下町の名誉町民として、歌手の春日八郎氏や世界的な版画家斎藤清氏等とともに昨年から列せられている。その度ごとに嬉しさに感動しているが、この喜びに逢うということは、いわゆる「喜逢登龍」であり、喜びは希望となり、希望は創造、創作と結ぶことであり、喜びを多く持つことが伸びる最良の薬であって健康に連なるものと思う。六十路に入ってからも海外旅行十五回、この秋はまた中国北部を尋ねる予定である。若い者より一歩先んじた考えや動作であってこそ指導的立場に立てるし、健康あっての物種である。

私は感謝状書きで校長に誉められた以前は水彩画に興味を持ち、教科主任もやった。その絵

を継続すれば、もっと伸びたに違いない。私を正式に勉強させてくれたS先生は何回か受験したが、とうとう書を手中の玉とすることはできなかった。私が一次通過の時はS先生何程羨しかったか。それ以後は書のことになると、いつの間にか姿をかくしてしまった。

校長もS先生も今はなき人であり想い出の先輩書人である。

 

 

 


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