教育福島0087号(1983年(S58)12月)-022page

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随想

 

やればできる

小針 光子

出会った。一年三組・三十四名、これが私が担任をするはじめての生徒である。

 

四月六日−入学式−少し大きめの制服に身をつつみ、期待と不安で胸をいっぱいにして椅子に座わる新入生達と出会った。一年三組・三十四名、これが私が担任をするはじめての生徒である。

私を見つめる生徒達の顔は輝いていた。決して大げさな表現でもなんでもない。この子供達は小学生のころ、中学生はあこがれだったに違いない。それが、生徒一人一人の顔からうかがえた。

とても心を打たれる表情だったので今でもはっきりと覚えている。私も、中学校に入学した時にはこんな表情をしていたのだろうか、と自問してみたくなったほどである。そして、私はこの希望に燃える生徒達の担任であると責任の重大さを痛感しないではいられなかった。

 

「生徒は、教師を選ぶことができない」という言葉を大学の先生から聞かされたことがあった。私はその時、なるほどと思ってはみたものの、どこか観念的であり実感に乏しく、「でも教師だって生徒を選ぶことができないのではないか」とさえ思っていた。しかし、実際に教壇に立ち生徒と接して行くうちに、この言葉の意味がわかってきたような気がした。教師だって生徒を選べない、などと考えた自分がとても恥ずかしく思えた。成長の過程にある生徒にとって、教師の与える影響がどれほど大きなものなのか。教師の言動の一つ一つが、そのまま生徒の心に映って行く感じがした。大変な職業を選んでしまった、と時々教職の責任の重さに戸惑ってしまうが、その度に、なぜか入学当初の生徒の輝かしい顔が目に浮かんでくる。

 

新米でも教師の仕事は、ベテランの先生方とほとんど同じことをしなければならない。しかし、何もわからないで仕事を覚える段階の自分が他の先生方と同じようになんて、できようはずもない。でも生徒の期待は大きく、私を新米だ、と甘やかしてはくれない0どうすればよいのか考えたあげく、自分には『若さ』があるではないか、まず得意とするものを手はじめに、自分をぶつけてみようと思った。今の自分にできることを精一杯やってみよう。そう思って頑張ってはみるのだが、ままならないのが現実である。

そんな中で教師という職業を選んで本当によかった、と思うことも何度もある。その一つは放課後の部活動である。

私は、男子バレー部の顧問をしている。自分もバレーを経験してきたのでバレー部の顧問になれたことは、それだけでとてもうれしかった。毎日練習を積み、試合に出場した。県北大会出場を目標に、選手達は、一戦一戦歯をくいしばって頑張った。その結果、一日目なんとか勝ち残り二日目へと進んだ。二日目、なんと一日目に戦って破れたチームと、再び対戦するごとになってしまった。

私も選手もこれで終わりかも知れないという気持ちがわいてくるのをおさえられなかった。しかし、何とか県北大会には出場したいという気持ちから選手は信じられないほどの力を発揮し県北大会の出場権を手に入れたのである。

試合中の選手の顔は、いつもと違いとてもたくましく見え、生徒とは、こんなにも大きな力を持っているものなのかと驚きと喜びでいっぱいだった。こんな力をもっとほかの所でださせてやれたらよいのに、と思った。そして「やればできる」ということを、試合が終わってからうれしそうに話している生徒達をみて、教師になって本当によかったと思い、「やればできる」ことを生徒と共に学んだ。

 

他の教育活動のいろんな場でも、生徒によって考えさせられたり、学ぶことも多い日々だが、昨日より今日、今日より明日の精神で生徒と共に学んで行きたいと考えている。

 

(飯野町立飯野中学校教諭)

 

 

 


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