教育福島0092号(1984年(S59)07月)-025page

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たちといっしょに、美しい自然の中で暮らすうちに、これまでいだいていた不安はしだいに消え、分校で生活する楽しささえ覚えるようになった。

当時のS校長先生が、ある日分校訪問の帰りしなに「先生、こんなへき地の分校でも自分をいくらでも磨くことができる。若いところで何か一つこの子供たちに残してやってほしい」と、私になにげなく言われた。二年目を迎えようやく分校勤務にも慣れ、いくぶん惰性になりそうな私の胸に、校長先生の言葉が、鋭く突き刺さった。この言葉に応えるべく、私はいろいろと考えたあげく、この山の子供たちが、やがて他の地域に出ていっても困らないように日常の話しことばを正しく使えるようにしょうと思いたった。子供たちは、はじめは、きまり悪そうであったが素直に私の指導についてきてくれた。家庭の協力もあり、子供たちは待ち望んでいたようにめきめきと上達していった。子供同士でも自然に共通語が使いこなせるようになった。こんなことでしか校長先生や子供たちに応えることができなかったが、その後の私の教員生活にとって極めて貴重な経験であったし、忘れえぬ二年間であった。

私は、教頭として現任校に勤務することになった。あの分校と同じように美しい山河に囲まれたへき地である。赴任以来三年目の初夏をむかえた今も、あの分校勤務当時のS校長先生の言葉を思いだしては、心を新たにして、毎日の職務にあたっている。

(田島町立栗生沢小学校教頭)

 

道程

河原 敬一

 

。また今回の受賞は、電波監理局東北管内の高校では初めてのものであった。

 

本年六月一日、本校は「電波の日」に仙台において東北電波監理局長より表彰を受けた。受賞の理由は、多年の無線従事者の養成と漁業無線界への人材養成の貢献及び国家試験の円滑執行への協力等本校の実績が認められたものであった。また今回の受賞は、電波監理局東北管内の高校では初めてのものであった。

ここに至るまでは、実に長い道程であり、多事多難の連続であった。そしてそれは私自身の教職生活の全てでもあると言える。

思いおこせば私が本校に赴任したのは昭和二十九年の春であった。当時は学校には電鍵、オシレタ、テスタ、テストオシレタぐらいしかなく、教材は業者から譲り受けた無線機器を分解しては組み立てるという状態であった。しかし、無いもの尽しに勝るものは、当時の生徒と私たち教職員の若さ、情熱であった。小名浜臨港鉄道で通う生徒の車中での勉強、列車の石炭のススごしに暮れなずむ海をながめては談論風発する若き教師たち。その臨港鉄道も今は無く、若き教師たちも白髪がめだつようになっている。

ともあれ当時の国家試験の受験場は東京か仙台にしかなく、本校では東京へ出向いて受けた。米を持参し、旅館に着くや否や生徒たちは勉強を始め、寝るのも忘れるという程であり、翌日の受験に差し障りがあってはと心配したりしたものである。このような遠方での受験は、精神的にも経済的にも負担が大きかったので、受験生の増加と合格率の向上に伴い、東北電波監理局に本校への受験場設置を陳情した。そして昭和三十四年に認可がおりて以来現在に至っている。

一方、校舎の方も小名浜魚市場そばの水産試験場と同居の校舎から、昭和三十三年に白砂青松の現在地に移転した。水産業界も、そのころは漁船の大型化、遠洋漁業への進展と拡大の一途にあり、それとともに上級無線通信士の養成が急務となった。そのため本校でも専攻科無線通信科の設置が叫ばれて、当時の村田校長より生徒確保の厳命をうけて大汗をかいてかけづり回ったものであった。この専攻科の設置も全国の水産高校では初めてのものであり、スタート当初からカリキュラム、授業内容と暗中模索が続いたものである。この頃、自分の教職の道に悩み工業高校へ転任希望をもった私に、村田校長が「五年や十年では本当の教育はできない。しっかり腰を据えてかかりなさい」と戒めてくれたが、その校長も今は勇退された。

そして昭和五十七年に現在地の本校が全面的に改築され、全国有数の施設設備をもつ水産高校として本県唯一の水産教育の殿堂となった。かつ本年は第四代福島丸が築造されつつある。このような華々しい現在の姿が、これまで述べたような先達の苦労多い日々の積み重ねの結果であることは論をまたない。現在の富永校長も、かつて若き通信料主任として論陣をはり職員をリードしたものであった。

しかし、振り返る過去とこれからの本校教育の展望をくらべると、その落差というか変容に我ながら驚くものがある。資格試験の多様さ、女子生徒の入学、生徒の質の変化、教員の世代の交代、学科再編の検討とのり越えるべき壁は多い。今回の受賞を機に心機一転、みがかれざる玉(生徒)をみがき飛翔する可能性を秘めた若鳥たちを叱陀激励し、相も変わらぬカミナリをとばし本校発展に微力を尽したいと思うのである。

(福島県立小名浜水産高等学校教諭)

 

 

 

 

 


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