教育福島0101号(1985年(S60)06月)-012page
って自分を高めようとする傾向がみられる。このことは、集団生活からの逃避であり、社会性の否定でもある。
自由放任とか次心意に流れる生活環境に由来することも考えられるが、こうした現実から脱却させ、本来の素直な人間性を回復させるためにも、理論と情感の調和を図ると同時に、自らの力によって、自己の現在を見直す心のゆとりと、前途を開発する意欲を高めていかねばならない。
本校の教育目標こ掲げる「自ら考え、正しい判断のもとに行動する生徒」の育成をめざし、基本的生活態度の習慣化と問題解決的な方法の重視を通じて、生徒一人一人の心の中に、人と人とのかかわりを大切にする気持ちをはぐくんでいくことが、本校の今日的課題ではないかと考える。
二、地域の実態
本校の学区は、いわき市の北端に位置し、化石フタバスズキリュウの産出地として学術研究の上から名高い地域である。以前は海水浴場として、また、漁業の町として栄えたが、近年は、父親は土木関係に、母親は製造関係の仕事に従事する、いわば共働きの家庭が多くなっている。保護者の学校教育に対する関心度が高まってきている反面、学校に対する依存度も高く、子どもの教育には放任主義の家庭も見られる。
また、社会情勢の変化に伴い、教育に関する見方・考え方も多様化の傾向にあり、学校教育の果たすべき役割が大きい地域でもある。
三、研究主題設定の理由
一般的には自由主義思想の拡大に伴い、自由がもつ真の意味をそしゃくしないまま、自分は自由でしかも権利をもった存在であるとの考え方に立って自己を主張する傾向が見られる。
それだけに自己中心的で、衝動的な行動に走る中学生の増加に対し、生徒一人一人が、自分の責任において自分の行動を律することができ、自分と同じように周りの人をもっと大切にすることができる心の広さを身につけさせなければならないという認識が高まってきた。
本校の生徒一人一人をみるとき、極めて素直で、素朴な面があるものの、集団になると自分の利害に対する執着心が強くなり、それ以外のことについては、無関心・無気力・無責任の傾向がみられる。その背景としては、放任的な家庭環境によって、恣意的な行動が日常化されていることもあると考えられる。
もともと学校生活の中での集団活動は、社会生活での基本的態度を培い、人間相互の連帯意識を育てる場である。集団と個を結びつけるためにも一生徒一人一人の集団活動への参加を通して自分の役割に対する責任を自覚させるほか、自分を大切にすると同時に、周りの人の話をよく聞き、仲良く改善の方向を見出させる、いわば「思いやりの心」をもった生徒の育成に力を注いでいかなければならない。
特に学校生活での人間関係をみたとき、縦と横の関係としてとらえることができる。あらゆる機会と場において、こうした人間的かかわり合いを大切にする態度を身につけさせるよう援助し、指導することが、とりもなおさず本校が教育目標として掲げる「礼儀」と「責任」そして「学力の向上」と「正しい判断」の具現化につながるものと考えた。
更に、家庭や地域社会との連携をより一層密にし、協力体制を強化することによって、生徒一人一人に道徳的実践力を身につけさせ、社会の一員としてのふさわしい資質を育てることも可能になるものと思われる。本校の教育目標の具現化を通して、生徒一人一人に道徳的・社会的意識の確立を図ると共に、人間性豊かな態度を培うことが、生徒指導の目標達成に迫るものと考え、この主題を設定した。
四、研究の基本構想(図を参照)