教育福島0101号(1985年(S60)06月)-021page

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随想ずいそう

 

詩吟と私

 

詩吟と私

佐藤正憲

 

で四十年の年月が過ぎ、いつの間にか私の生活の中に永住してしまった詩吟。

 

やっと物心のついたころから父親の朗詠する詩吟をそら覚えに口ずさんで四十年の年月が過ぎ、いつの間にか私の生活の中に永住してしまった詩吟。

父親の模倣から趣味活動へと発展してきた詩吟も今では漢詩の持つ奥深い魅力に取りつかれて、研鑽の日々が続いている。

素読を幾度となく繰り返し、詩の雰囲気にひたる。作者の立場に少しでも近づこうと内容を吟味する。

時には作者の経歴や時代的背景から調べに入る事も多い。朗詠に入る前の楽しみでもある。

 

機会があって人様の前で発表する時「国語の先生をなさっておいでですか」とよく問われることがあるが胸を張って「体育です」と答える。

詩情をよくとらえ、朗詠の節調にそって表現しようとしても、 「気力」と「体力」が伴わない吟には説得力がなく、稀薄な感じさえ与えるからである。

自分の吟は、生徒と共にからだを動かし、「体育」を通して錬り上げた吟だと自負しているからである。

詩情にふれ、からだ全体でおもいきり朗詠ができた時のすがすがしさはなにものにもかえがたい思いである。

こんな体験を生徒達にもと、前任校(福島四中)で校長先生にお願いして詩吟クラブを設置していただき、それ以来本校でも詩吟クラブでの活動が続いている。現代っ子の中学生には、漢詩へのなじみも少なく、ましてや詩吟の独得な節調になかなかなじめないようでもあり地域性もあるのか、好んで集まって来る生徒は少ない。しかし毎週一時間の練習を楽しみにしている生徒も少しずつではあるが増えてきている。

教科指導・生徒指導にと未熟な自分であるがゆえに、詩を通して先人の豊かな体験と心情にふれる時、日々の教育活動に少なからず不安と動揺とを感じないではいられない。

しかしその反面、私に勇気と活力とを与えてくれる。

 

「座右の銘」とすべく、努力している姿に接し、練習に力が入る日々である。

 

自分がかつて少年時代に「座右の銘」とした朱黒の詩「偶成」を生徒達も無心に吟じ、彼等もまた自分の「座右の銘」とすべく、努力している姿に接し、練習に力が入る日々である。

 

のふれあいを大切にした教育活動を続けていきたいと考えている昨今である。

 

自分自身に正直で、生徒とのふれあいを大切にした教育活動を続けていきたいと考えている昨今である。

(福島市立松陵中学校教諭)

 

四月、そして出会い

宮内寿 雄

 

卒教員との出会いを経験しており、その都度、育ての楽しみを味わっている。

 

しっとりと春の息吹を感じさせる季節、今年もまた、新卒と呼ばれる大学出たての、フレッシュな先生を迎える四月がやってきた。私は校長になって以来、毎年新卒教員との出会いを経験しており、その都度、育ての楽しみを味わっている。

そんな中で、数年前に出会った女子教員T先生のことが思い出される。T先生は東京の有名大学を卒業し、赴任されたわけだが、辞令交付式の会場での初対面は、清そな服装で礼儀正しく、はきはきした先生ぐらいにしか感じなかったが、いざ一緒に勤務してみると、鈴木健二アナウンサーの著書「気くばりのすすめ」を地で行くような人柄であることがわかってきた。毎日三十分前に出勤し、他の職員が出勤する前に、職員室や校長室の机上の雑きんがけをし、時には自費で花などを買ってきて、飾ってくれていた。校長室に来客があればすぐにお茶を持って来る。そんなときには空時間の同僚にも「お茶どうですか」の一声をかける。ふだんの態度は明朗快活、いつも笑顔で、授業での教え方も、適当にユーモアを交え、生徒からも大変親しまれ、この先生が新卒の二十二歳かと目を見はる思いをした。

その後、このT先生のご両親に会う機会を得たので、T先生の生い立ち(育てかた)をお聞きしたところ、ご両親

 

 

 


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