教育福島0101号(1985年(S60)06月)-022page

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は共働きの教員で、小学校三年生までは、母方の祖母に育てられ、その祖母が亡くなってからはカギッ子同様な生活で、朕らしい朕もせず恥ずかしいと言うことだった。しかし、母親から受ける印象は、この親にしてこの子ありと、つくづく思われた。

秋になって補充教員が面接試験を受けることになり、一年先輩であるT先生を講師に、リハーサルをやることになった。校長室で新卒教員二人と受験補充教員の三名で、面接の話し合いが行われたが、そのときT先生は実際の体験を通して、また大学で指導を受けた教師としての心構えとかを具体的に話された。

グループでのデスカツションは、でしゃばらないで、しかし、自分の意見はしっかり述べる等という硬い話はさておいて、日常の中での先輩同僚に対する気配り、勤務に対する心構え等々、その中に上履きにスリッパ・サンダルを使用しないとの一言があった。この一言でT先生の教職に対する熱意が並々ならぬものであることを感じ、いっそうの頼もしさを感じた。

若さあふれるT先生は、今日も先輩や同僚に一服の茶をすすめ、早朝のふき掃除をやり、玄関や校長室に花を生け、活気あふれる身のこなしで校内のアイドルとして活躍してくれている。

今年もまた、すばらしい新卒の先生が、たくさん赴任したと思われるが、出会いを大切に、職場の先輩として暖かい手をさしのべ、多くの立派な教員を育てあげたいものだと考えている。

(いわき市立磐崎中学校長)

 

若芽よ精いっぱいに

野木 万里子

 

タートできたことを、この上なく嬉しく思い、感動の日々を過ごしております。

 

やわらかく、また力強い春の息吹きを全身に感じながら、私はいま、あこがれの教師としてスタートできたことを、この上なく嬉しく思い、感動の日々を過ごしております。

草や木に萌える芽が、いつもうららかな春の日射しを受けるものではなく厳しい自然の風雪に鍛えられて育つように、同じ若芽の自分自身を厳しく成長させていきたいと思っております。

教師となって、子ども達から初めて、「先生」と呼ばれたときのあの感動はとても表現し難いものであり、一瞬、「私は教師なのだ」という身の引き締まる緊張感を覚えました。この気持ちを終生忘れることなく、自らの励みとして努めてまいりたいと、固く決心いたしました。

 

私の担任は、四年生で二十三名の人なつっこく元気な可愛いい子ども達です。私のことが珍しいのか。一言一動に目を輝かし、興味深そうに対応してくれます。その姿を見ると、なんとも言えない充実した気持ちになり、アッという間に過ぎた着任以来の二週間でした。まだ教師としての生活をよく知らない私にとって、一時の感情かも知れませんが、この子ども達との出会いを大切に早く仕事に慣れ、よい先生になりたいと念願しております。先輩の先生から「感動を共に味わえる教師と児童」というお話をいただいておりますが、まず私の場合は、子ども達から感動を受け、毎日楽しい学校生活です。

 

大学の卒業が近づくころ、友人間での一番大きな話題は、どのような町のどのような学校へ勤めるのだろうということでした。しかし、いま若い私達には、この子ども達の輝く瞳のある所ならどこへでも、という気持ちさえします。私は学校のお世話で、素敵なアパートに落ち着き、郡山市内でも市街地から一歩入った農村地域の緑と田園の美しい穂積小学校に勤めることができて嬉しく思っています。そして、牧歌的な雰囲気と、目には見えないけれども、ひしひしと押し寄せる文化や世相の波の両面を感じながら、この任地で力いっぱいの仕事をやっていきたいと思います。夜アパートで、持ち帰った仕事を済ませたあとは、決まって、担任の子ども達の顔が浮かんできて、なかなか寝つけませんが、それがまた楽しみのひとつであります。昨夜は、「地域も良いし、先生方も良い方ばかりだし、子ども達も良い子ばかり。さて、私はどうなのかな」と、なんとなく情けないような思いにかられました。すると、学生時代の多くの友人の顔が交互に現われ、「あせるな、あせるな」と、励ましを投げかけてくれ、元気を取り戻しました。

 

勤めてまだ短い期間ですが、参観日もありました。児童会の総会もありました。間もなく家庭訪問が始まりますし、五月は運動会と学習旅行があります。私には、何もかも初めてのことですが、学校としては少ない職員の一員であり、子ども達にとっては重要な行事ばかりなので、先生方からの御指導をいただき、一つ一つのことを大切に、精いっぱいがんばるつもりでおります。

(郡山市立穂積小学校教諭)

 

 

 


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