教育福島0101号(1985年(S60)06月)-023page
……心に残る授業
三浦光孝
機会があって、ある小学校で五年生の算教の授業を参観させていただいたことがある。今でもその授業の様子が鮮明に脳裏に焼きついている。
「今日は、三けたのかけ算を勉強するのだが、少しはできる人もいるのかな?」という先生の問いかけに対し、「三けたのかけ算くらい簡単だよ。二けたのやり方と同じだもの」ということで、あまり新鮮味を感じない様子であった。そこでA先生「そうか、そんなにやさしいのかい?そんなにやさしいというのなら、今日はみんなが先生になって、三けたのかけ算を教えてくれないか」と提案された。子ども達の了解を得ると、「それでは、今日はみんなが先生だ。先生は前へ出て立って下さい」ということで、子ども達を全員前に立たせ、A先生一人が子どもの席に着かれた。そのうちある男の子が「A君、黒板の問題をやってみて下さい」とA先生に問題をやるように指示した。すかさず先生も「ハイ」と返事をして、黒板に次のように書かれた。
「あれ、ちがうぞ」「そのやり方は何だ?」口々に子ども達が騒ぎ始めた。
そこでA先生は「先生たち、僕、九九は絶対まちがっていないつもりです。字もていねいに書きました」
「うん、九九はまちがってない。字もていねいに書いてある。でもやり方がまちがっています」「下をそんなにまっすぐに積んではいけないよ」と更に大きな声で騒ぎ出した。
「でも先生たち、物を積むときにはまっすぐ積まないと倒れてしまうよ。かけ算だって、きちんと積んだ方がいいと思います」
「物はまっすぐ積まなければならないが、かけ算はまっすぐ積んではいけないことになっているのです」
「なぜ、まっすぐ積んではいけないことになっているのですか?」
「なぜって、こういうふうにやることになっているのです。見ていて下さい」男の子がそう叫んでやり方を板書した。 (子どもたちの大きな拍手)
「なぜそのようにしなければいけないのですか。僕のようにしてなぜいけないのですか」
「ほんとうにどう言ったらわかるんだ。となりのクラスの先生を呼んでこようか」と相談しあう子どもも出てきた。
「先生たちは、となりの先生を呼んでこなければ、まっすぐ積んでいけないわけをよく教えられないの? 先生たちも、もう少ししっかり勉強して来て欲しいと思います」
こうしたやりとりのあと、子どもたちを席に着かせ、
であることを説明し、計算の方法を理解させていった。
子どもをどんどん追いこみ、のっぴきならない立場に追いこんでやることの大切さ、子どもたちとのコミュニケーションの大切さなどを目の当たりに見せられた、すばらしい授業であった。
とかくすると、教えこみ、ドリルによって技能を高めていこうとしがちになる私の心に、歯止めをかけてくれる授業であり、心に残る授業の一つであった。
(相馬市立中村第一中学校教諭)
このごろ思うこと
宮本幸恵
一年のうちで一番あわただしい、三月・四月を迎えました。
本園は、一年保育の幼稚園であり、保育所よりくる子、私立幼稚園よりくる子、そして、家庭保育よりくる子で構成されています。そして今年も、一年保育の淋しさに、感傷的になっているひまもなく、また新しいスタートラインに立ちました。
四月の入園児は、手とり足とりの毎日であり、三月の修了児の姿を思い出すと、一年間でのすばらしい成長ぶりに驚きと感激で胸がいっぱいになり、一日一日の保育にも自然と力がはいってきます。
私は、小さいころから「大きくなったら何になるの?」と聞かれると決まって「幼稚園の先生!」と答えていたそうです。そして、何のためらいもなくこの道を選びました。