教育福島0101号(1985年(S60)06月)-026page

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三年目の保健室

山田敦子

 

体育館いっぱいに響く子どもたちの校歌で迎えられた着任式。

 

体育館いっぱいに響く子どもたちの校歌で迎えられた着任式。

この元気な歌声は、緊張と不安を感じていたわたしの心を明るく、暖かくしてくれました。

見上げるくらい大きかった中学生を相手に一年間、補充として保健室に勤めていたせいか、小学生の小さいのには驚きました。

 

「先生。ほら、春を見つけてきたよ」

小さな両手に、田んぼに咲く草花を摘んで保健室にも春を運んでくれた女の子たちや、紅白ぼうしをかぶり、全校児童が走る業間体育等、小さな子どもたちに囲まれての学校生活は、見るもの、触れるものすべてが新鮮で感激でした。

休み時間には、保健室が子どもたちでいっぱいになり、応急処置が思うようにできなかったり、これでいいのだろうか、この子は大丈夫だろうか、と戸惑いの毎日です。そんな中で、児童の健康管理・指導を受け持つ養護教諭の仕事の責任の重さを痛感させられます。

見る見る間に熱が上がり、ぐったりしてくる子や、「先生、いすにぶつけて鼻血が出ちゃったよ」とやってきた子の血を拭き取ってみると、鼻の下がパックリ切れていて、あわてて担任の先生に連絡したり、また、学校に来るだけで疲れてしまい、眠り込んでしまう一年生。半熟卵のような崩れやすい子どものからだについて、生の体験をしながらの勉強です。

 

保健室には、けがやからだの具合いの悪い子の他にも、毎日たくさんの子どもたちがやってきます。そして、家でのできごと、勉強のこと、友だちとけんかをして涙を流したり、怒ったり、自分の感じていること、考えていることのおしゃべりでにぎわい、職員室で仕事をしている時も「先生、ちょっと保健室に来て」と雑談の相手をさせられてしまうこともたびたびです。この子どもたちとの触れ合いは、わたしにとっても楽しいひと時です。

「保健室は、学校のオアシスである」と言われるように、子どもたちが、心身を休め、暖まることのできる場所でありたいと願いながら、指導の難しさ、大切さというものを深く感じています。

三年目の春を迎えて、児童会活動、委員会活動、縦割り活動等自分に与えられたことを一生懸命に取り組んでいる姿を目にし、とても小さく見えていた子どもたちが、今では、大きく見えてなりません。そして、今まで、「これを手伝って」「これをやって」とわたしの大声が飛び散る保健室でしたが、「早く保健委員会の仕事を始めようよ」「歯みがきカレンダーは、まだ渡らないの」と逆に子どもたちからの催足を受けるという忙がしい新学期のスタートでした。

夢我夢中で過ごしてきた二年間でしたが、これまでの保健活動が、子どもたちの心の中にも芽生えてきたことを感じて、ささやかながら満足にひたれる時もあります。

これからも、保健室が真のオアシスであるように、心を開いた子どもたちとの触れ合いの場、保健活動を大切にする場として行こうと思います。

(会津高田町立永井野小学校養護教諭)

 

ふれあいの中から子どもたちの健康を願う

ふれあいの中から子どもたちの健康を願う

 

共に学ぶ姿勢

星 英雄

 

方が張り切って訪れる。たちまち、所内は若々しい活気と緊張感におおわれる。

 

のどかな卯月の空を背景に繚乱と咲き誇っていた桜の花の散っていくのを哀惜する思いは、ことしも同じであった。その桜の木々も、日の光を浴びて、今ではすっかり新緑の世界を誇張している。この好季節を迎えると、本センターの研修講座が一斉に開講し、県内各地から多くの先生方が張り切って訪れる。たちまち、所内は若々しい活気と緊張感におおわれる。

 

所員になって二年目を迎え、ようやく当初の自分の知見の希薄さからくる不安やいらだちも少しずつ消えてきた。そのうえ、幸いなことに、当教育センターの良き上司、先輩、同僚に恵まれ、

 

 

 


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