教育福島0101号(1985年(S60)06月)-028page

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るが、なにはともあれ、身体に障害があろうと無かろうと、教師ゆえのもとに「心に障害はなし」と木目の細かい、対話による心の換起と手厚い指導が、なににもまして大切かを、N子の電話で痛感させられました。

そのころの私は、毎日、無我夢中で勤める若輩教師であり、現在のように特別に研究された指導法を知るよしもなく、唯、貧乏育ちの教師として、人間として、当り前のことばをかけて激励をしたに過ぎなかったことに、深い反省と、目も見えない人間が三十数年間も忘れずに、私が教師であることを認めてくれたN子に、感謝と、健常者にも優る幸せを祈る気持で一杯です。

(県立安積高等学校御舘分校長)

 

磐梯登山

佐藤常春

 

休みに、男子十一名と父兄三名、私と計十五名で磐梯登山をする機会があった。

 

六年生を担任した夏休みに、男子十一名と父兄三名、私と計十五名で磐梯登山をする機会があった。

当日は大変よい天気に恵まれ、ゴールドラインから望む磐梯山の勇姿にみとれながら、登山道入口の八方平に着いたのは午前九時頃であった。すでに大型観光バス数台と自家用車など二十台近い車が駐車していた。相当数の登山者がおり混雑することを考えながらしばらく休み登山する諸準備を整えた。

父兄の方に先頭、中間、後尾についていただき万全を期して出発した。登山道は、はじめは平坦に近いゆるやかな坂道であったが、登るにつれてひと足登りの急な登り坂になった。みんなでがんばれ、がんばれの掛声をかげながら登って行った。どの子どもの顔にも疲れの色は見られなかった。

 

登るにつれて樹木の丈は低く、がっしりした根をはり、きびしい風雪に耐えながら生きている自然木を実感としてとらえながら登って行った。

七合目近くまで登って行くと、道幅の少し広い木陰で額にタオルを当てて休んでいる三名の都会風の女子高校生がいた。私が「ゆっくり登りましょう」と声をかけると、「すっかり疲れました」と小さな声の返事が返った。すると突然0君が「僕たち荷物を背負ってやつぺい」と言った。高校生の一人が「お願いできれば助かります」そんな会話のうち、0君とY君は、さっそく高校生の荷物を背負った。誰もが自分の荷物だけでも苦労しているのに、よくぞ高校生の荷物を背負ってがんばる気持ちになったなあと感心せずにはいられなかった。

 

このO君は日頃学校生活ではつっぱり屋なのに、こんなやさしくて力強い面があることを私は知らなかった。私は日々の学校生活で一人一人の児童を十分理解しているつもりであったが、このやさしい行為を見て、あらためて児童理解のむずかしさを感じた。

級友たちは、「O君、Y君偉いなあ、よし僕たちも弱っている人に会うたら助けてやろう」と考えてもいなかった善行の芽が全員の心にはぐくんだことは、すばらしいことであった。

皆で力を合わせ、弘法清水まで登った。傾斜のある広場では、大勢の人がそれぞれの場所で休んでいた。ここから眺める自然の雄大さは登山してはじめて体験できるものであり、やさしい心や善行が更に美しさを倍加したようであった。

 

児童と高校生は、写真を撮ったり、住所や名前を教え合ったりしていたが、別れるとき「ありがとう、ありがとう」と高校生から何度もお礼を言われ、0君とY君は今まで見られなかった満たされたようすであった。他の児童も本当に満足そうであった。

この磐梯登山での経験が、その後の児童間や教師との心のつながりを深めあたたかい学校づくりに役立った、楽しい思い出として心に残っている。

(田島町立田島小学校教頭)

 

『教育関係者必携(福島県)』

昭和六十年度版発行

 

昭和五十八年度版刊行以後、定年制導入に伴う条例の新設等、諸法令、条例、規則等が制定、改定されたことにより、今回、新しく昭和六十年度版を装いも新たに発行することになりました。

教育関係の方の必携として、事務処理上等に大いに活用されることを期待しています。

・発行日 昭和六十年七月十日

・体裁等 B六判約千八百ぺ−ジ

・編集教育庁総務課

 

磐梯山頂でパチリ………

磐梯山頂でパチリ………

 

 

 


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