教育福島0102号(1985年(S60)07月)-026page
ひとことの威力
熊川俊長
昨今、子どもたちのやる気不足が問題になっている。いろんな理由があるとは思うが、その中の一つに子どもたちにやる気を起こさせる人間が少なくなったからである。花屋の店頭の花は奥にある花よりも、より美しく、長く咲くといわれる。花が道ゆく人の「ああ美しいなあ」と思う気持を受けとめているからだという。花でさえこのように道ゆく人の賞賛を受けると、より美しく長く咲く。植物でさえ人の気持に影響されるとなれば、わたくしたちの感情が人に与える影響の大きさは推して知るべしであろう。期待と賞賛と励ましのことばは、人間の心の中で、すばらしい潜在能力の花を咲かせる。期待を表現するひとことの威力に気づいてほしいものである。
日本人は一般に相手に期待していても、それをことばや仕草にあらわすことをあまりしない。以心伝心で口に出さなくともお互いに思っていれば通じると信じ込んでいるからである。確かに過去の自分もそうであった。だが、結婚し、家庭をもち子どもの親ともなって、夫の役割、父の役割を果たさなければならなくなった時から、やはりことばや動作、表情による伝えあいが必要になってくる。ところが、こうした期待の表現に対する価値観を持たない人間同士が家庭や職場で生活を共にすると、お互いに話すことが苦痛になってくる。外から帰ってきた夫を玄関に迎えるやいなや「こんなに遅くまでどこにいってたの」と批判がましくいう妻のことばは、夫の顔をビシャリと手で叩くようなものである。夫が無事に帰ってきたことに対する妻の喜びが全く感じられないからである。ところが逆に他人が聞いたら何でもないようなあることば一つで、人間は意外なことをやりとげることもあるのである。朝の出勤のあわただしい中での、さり気ない妻の「いってらしゃい、気をつけて」のひとことの期待と信頼と願望に応えて、その日の仕事に精を出し、自分の健康にも注意するようになるに違いない。どんな人間だって例外ではない。私はつくづくこの頃、このひとことの威力に感心させられている。
人間の心の中には期待の表現を受けると、それまで本人も気づかなかったような、すばらしい潜在能力がひそんでいるようである。ひとことの威力はプラスにもマイナスにも作用する。それがわかれば、私達はもっと周囲の人達に心から期待のことばを送りたいものである。特に、一日の朝のスタート時のことばには、もっとも心を配りたい。毎日、夫婦、親子間で明るく肯定的なことば「できる、大丈夫、やさしい、成功、楽しい、うれしい、みごと、えらい、立派、よい」こんなことばを沢山使うのである。その反対の破壊的なことばはなるべく使わないようにする。そして、このことを他人にも及ぼすようにするのである。ひいてはこのことが世の中を明るくし、人にやる気を起こさせ、そして家庭円満な幸せな毎日を送れ、子どもたちを非行から遠ざけるのではないのかと、今にしてつくづく思うのである。
(県立新地高等学校教諭)
第4回県高校総合文化祭
−お知らせ−
■音楽部門 合唱、器楽の発表
七月十一〜十二日
いわき市常磐・平市民会館
■美術部門 絵画、彫塑、工芸
十月二十三〜二十七日
いわき市文化センター
■演劇部門演劇
十一月二十二日〜二十四日
いわき市平市民会館
オーストラリアとインドネシア管見
橋本貿司
二年ほど前に、オーストラリアとインドネシアの研修旅行をさせて頂く機会を得た。その折に、見聞し考えさせられたことの一端を述べたいと思う。
まず、オーストラリアの家庭教育についてであるが、小さい時分から、家庭内の手伝いをよくさせ、家事の仕事を覚えさせるようにしていることである。(日本のように、勉強さえしていればよいという考え方とは違うことを強く感じさせられた)そして、学歴をつけさせることよりも、早く社会に出して、一人前の人間になることを望む親が多いということである。しつけの面では、弱い立場にある人をいたわり、親切にしてあげるという心を培うことに力を入れているということである。横断歩道で迷っている盲人を見かけると、手を引いて一緒に渡り、その後で自分の目的地に向う若者の姿の例は沢山あるということである。(今、話題