教育福島0103号(1985年(S60)08月)-027page
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |
「あいさつ」は、自分の心の健康、心のゆとり、思いやりの心をはかるバロメーターの役割をはたしているとも言えるのではあるまいか。
((財)福島県海浜青年の家指導主事)
あの日
斎藤 寿
![]()
高校を卒業して早や八年になるだろうか。今でも「あの日」のことは胸に深く刻まれ、思い出すたびごとに懐かしく、嬉しくもあり、そして恥ずかしくもなるのである。
「あの日」とは、三年間共に学び共に汗した級友達と担任を囲んでの謝恩会、卒業式の次の日のことであった。皆車座になり数々の思い出話、そしてこれから見知らぬ世界へ旅立つことへの不安や希望を語り合い、別れを惜しんだ一日で、私も故郷を離れることの辛さ、そして寂しくなるであろう実家のことなどを考えると、担任の先生の若いころの苦労話と重なり合い「自分もやらねば」と心の底から湧き出る何ども言い難い気持ちにいつしか、涙を流しながらこんなことを語っていた。中学・高校と六年間、好きなサッカーを両親をはじめ数多くの人達の援助と協力で続けることができ、そしてまたそれが縁で進学する私にとって、卒業後は恩返しのつもりで後輩を指導したい。理由こそ単純であれこの決心がずっと変らずに続いていたのである。あれから八年、途中、講師という立場で教職に就き、今年本採用となったことに今改めて「あの日」のことが思い出され、胸を熱くするのである。
さて私が赴任した学校のある長沼町は、須賀川市より西へ二十キロメートル、緑の山々に抱かれ、戦国時代長沼隆時により築城されたと伝えられる城址が町の北部にあり、季節には八重・吉野など数百本の桜で覆われ、本丸跡から望む城下の眺めはすばらしく、水と緑と歴史を感じさせる町である。その人々の熱い期待にこたえて設立されたこの学校は、昭和二十三年岩瀬農業高等学校長沼分校、働きながら学ぶ定時制として発足、途中幾多の歴史を経て昭和五十三年に独立した全校生三百三十余名の小じんまりとした、そして若さ溢れる学校である。基本的な生活習慣や基礎学力に重点を置き、徹底した指導を行い地域の人々からも常に熱い視線を受けている。また部活動ではハンドボール部などを中心に上位を狙えるチームもあり、夜遅くまで熱心な指導のもと積極的な活動を続けている。
教育とは「感動」を与えることである。赴任以来、学校長以下諸先生方の生徒を愛する指導をみるにつけ、一日も早く自分の指導法を確立し、 「あの日」の決心を忘れず、常に自己研鐙に努め、感動を与えうる教師をめざし頑張っていこうと思う今日このごろである。
(県立長沼高等学校教諭)
興味をしめす授業
目黒 寿一
![]()
今年の三月で、教師になり十八年が過ぎました。生徒も少しずつ変わってきましたが、私自身もどう変わったかと考える時があります。
よく言われることに、わかりやすい授業をやれというのがあります。
少し考えてみるとこのわかりやすいとは生徒にとってであり、私達教師にとってはかえってわかりにくいことです。教科書の内容をしかもその中にある語句を使用して、そのまま生徒に理解させることができたならば、これほど簡単なことはないでしょう。
教科書の内容をかみ砕き、なるべく簡単な語句を使用し、多くの例を使い教えるということは、教師自身内容を理解し、知識も豊富でなければならないのではないでしょうか。
授業をしてみて、生徒の顔がいきいきとしている時と、そうでない時があります。私自身授業にのっている時は、生徒の反応もよいのです。
では、反応がない時はというと、あまり例をあげなかったり、進み方が速かったり、意味をよく説明しなかった時に多いような気がします。
最近思うことは五十分の授業に最後まで集中できない生徒が、年々増加していることです。
これには学力・知力の面と、非農家出身者の増加という問題が考えられます。しかしただそれだけではなく、私自身にも問題はなかったろうか。
十八年前の教師になりたてのころの方法、言葉で教えてはいないか。やはり思いあたる節があります。
それにしても生徒は毎年観察力と気
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |