教育福島0103号(1985年(S60)08月)-028page

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力が低下してきているのではないかと思い、例を蚕にとって考えてみました。

二年生に蚕の絵を書かせてみると、正確に写生できるのは、クラスに数人でした。足の数を多く書く者、節の数を少く書く者、紋の位置を別の場所に書く者など多種多様、中にはこれでも蚕かと首をかしげたくなる者もいます。

もう一例、バインダーのピンがはずれますと、もちろん機械は動かなくなります。しかし生徒はそのまま休憩、どうしたと言うとピンがはずれたのだから仕方がないと言います。

機械が変になった位置から現在地までたかだか三メートル程度、この三メートルを捜せばよいものを捜さないのです。これは怠けているのではなく、どうも彼には捜すということが頭にうかばない。すなわち、なおそうとする気力がないのです。

このような生徒に興味をもたせ、なおかつ理解させるには、ただ生徒が悪い悪いとばかりぼやいていても、解決にならないのではないでしょうか。

本校では、三年生になると専攻学習というのをやります。これは教師の指導があるとはいえ、自ら計画し、実験をし、その結果を論文にまとめて卒業前に提出するのです。

この専攻学習を指導してみると、これが二年生の時教師の頭を悩ませた生徒かと思う時があります。計量器を操作し、薬品を計り、下級生を指示し実験を進めていく。なかには夏季休業中自主的にほとんど毎日出校して調査し、夕方遅くまで残って実験していく生徒もいます。

このような事例をみていると、実験実習を伴う農業学習は生徒の興味と意欲を高めるものであり、教える側の学習の指導方法のあり方がいかに重要であるかがわかる。

 

十八年間、生徒は変わったといいながら、興味をもつものについては一生懸命に取り組むし、理解もします。

このことは一貫して変わっていないように思います。それよりも私自身頭の中で考え、口先だけで机上の難しい事を教えていたのではなかっただろうか。とこの三年生の専攻学習の取り組みかたをみて反省しているこのごろです。

(県立相馬農業高等学校教諭)

 

痛みを知る機械

森 紀子

 

ったり、という点で、学校の中でも心の窓を開きやすい場所であるように思う。

 

中学校の養護教諭として二年目を迎え、中学生という年代のむずかしさやすばらしさを、毎日のように感じているこのごろである。中学校の保健室は生徒の方から相談を持ちかけてきたりあるいは、なにげない話の中に心の悩みや心配ごとを打ち明けて行ったり、という点で、学校の中でも心の窓を開きやすい場所であるように思う。

保健室は、生徒の本音がよく聞ける場所だとおっしゃる先生方も多い。私も、そうかもしれないと思う。しかし、そういう場所であればあるほど、生徒の訴えを聞きながら、「本当はなんで保健室に来たのだろう。何を言いたいんだろう」と、より真実を知りたいという欲求も日増しに強くなってくる。

悩んだあげく、行きづまって相談にくる生徒の場合は、悩みも症状もはっきりしているのだが、来室回数も少なく、訴えもはっきりしない不定愁訴の多い生徒の場合は、なかなか本当のことを知るのがむずかしい。突然、そうした生徒のひとりが、激しい腹痛を訴えて欠席が続いた。大きな病院で検査を受けても異常は見当たちないという。休みが長びくにつれて、担任との話し合いの中で、「本当に痛いのであろうか」という疑問が出てきた。

この時、私は看護学生時代に、小児科の婦長がポツンと漏らした言葉を思い出した。それは、激しい腹痛を訴え薬を要求するが、粉ミルクを飲ませる.とうそのようになおってしまう。しかし、それを飲まないと、午前四時から十時までの間は激しく痛み、あとはうそのようになおってしまうという患者の看護をしていた折のことである。

「痛みを知る機械があったらねえ」

本当に、そういう機械があったらなと時々思う。生徒の言葉を信じないわけではないが、そうした言葉の裏にあるものを見過ごしていると、それこそ本当の痛みがわからないのである。この生徒の場合も、学校でいじめられることが原因であった。

中学生が巻き起こすいろいろなでき事は、未熟な私なるがゆえに、頭をかかえてしまうことも多いのである。保健室が、生徒のかかえる悩みを解決するために、その糸口をつかむことのできる場所であるためには、生徒の訴えに、常に耳をかたむけなければならない。声にならない声も聞かなければならない。そしてなによりも、本当の訴えがなんであるかを、いち早く知らなければならない。

そんなことを考えていたある日、保健室で資料を捜していると、古い荷物の中から一枚の写真が出てきた。前任校の、むし歯のない児童たちである。ドラエモンのメダルを首からさげてうれしげに笑っている。この子たちも、今は中学生である。ドラエモンのメダルなど喜ばないだろうと思いながら、ふと、私もドラエモンのように、ポケットの中からいろんな機械が出せたらな、と思った。

(二本松市立第二中学校養護教諭)

 

 

 


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