教育福島0104号(1985年(S60)09月)-026page
「万博」コンパニオンを通して
水野順子
私がつくば万博に出展している県物産センターのコンパニオンとして筑波に来たのは、まだ雪がちらつき、肌寒い日の続く三月でした。早いもので、六か月の開催期間が終ろうとしています。
コンパニオンのお誘いを受けた時、私は洋裁学校の学生でしたし、四月には卒業して、就職しようと考えていましたので、お誘いを受けたときは正直言って、どうしょうかと悩みました。昨年、ミス・いわきをしていたときにお世話になった市役所の観光課の方が、「せっかくのチャンスだし、どうだろうか」とおっしゃってくださいましたし、一度は親元を離れて生活をしてみる絶好のチャンスだとも思いました。
いろいろな方と知り合って視野を広げることもできるのではと、利点が多いように感じられたのです。
いざ、生活を始めてみますと、大変このうえないのです。私一人で生活するのではなくて良かったと思っています。会津から一人、原町からも一人、計三人で生活していますから、バランスがとれてうまくいっているのです。食事は交替で作るのですが、二人共、私より年上で慣れているといった感じで、いろいろな物を作ってくれるのですが、私は料理が得意ではありませんでしたので、毎回、献立を考えるのに頭を痛めたものでした。生活のリズムを作るまでは大変でしたが、私達は何のトラブルもなく生活をしてきました。困ったことがあった時や相談事は、三人で話し合いましたし、何でも話せるといった感じなのです。
私はこちらに来て、生まれて初めてお給料というものをいただきました。とてもうれしくて、顔が紅潮したのを覚えています。皆で何を買おうかとうれしいことで頭を悩ませたものでした。三人共、あのまま地元にいたら、絶対に知り合えなかっただろうと思うと、筑波に来て本当に良かったと思うのです。それは、この方達だけに言えることではないのです。会場内でお友達になった方も数多くいました。その中のお一人であるFさんに私は、「思いやりを持つ」という大事なことを教えていただいたのです。「自分のことを考えるよりまず、相手のことを考える」、できそうに思えて、なかなか難しいことなのです。私は、まず自分のことを考えていたので、その考えを聞いた時は、多少の反感を覚えたものでした。よくよく考えてみますと、そうかもしれないな、と思いはじめたのです。相手を大切に考えられないようでは自分のことも大切にできないのではないかと。そのことを教えていただいてからは、相手が今、どうして欲しいのかということを考えて、行動し、発言するようになってきたのです。思いやりを持たなくちゃいけないなと思えるようになっただけでもプラスの方向に変われたのですから、Fさんにはとても感謝しています。
仕事を始めた頃は、六か月という期間がとても長く感じられたのですが、残すところ一か月となった今では、とてもさみしい気持ちがします。以前にお友達がこんなことを言っていました。「万博というのは、大きなお祭りのようなものだから終れば皆、帰るんだよ」そう言われればそうなのですが、それを聞いたときは、とても悲しくて、なんとも言えない気持ちになったものでした。でも、この万博のおかげでお友達がさらに増えましたし、皆、帰ってしまいまずけれど、きっと、またいっか会えるのですから、その時を楽しみにしていたいと思います。平へ帰っても、こちらで教えていただいたことを忘れずに、そして六か月間見て、聞いて、体験したことをこれからの糧にしていきたいと思っています。
(つくば万博県観光物産センターコンパニオン・いわき市出身)
ホープ!N君
只野恒雄
出張から戻った朝、我がワンパク学級の子供たちが、「先生、先生」と、手を振りながら二階の教室から下の職員室の廊下に、にぎやかに下りてくる。私は、「はい、ただいま」もそこそこに、「さあ、さあ、みんなもういいから静かに、静かに。教室へ戻って、戻って」と、愛くるしい顔を『けがはなかったかな。病気で休まなかったかな』とひとりひとり見ながら両手で抱えるように押し戻す。その手のひらの中に、うれしそうに笑っているN君の瞳がある。
−−−今からおよそ一年前のことを思