教育福島0104号(1985年(S60)09月)-027page
い出した。
「こらっ!どうしてN君。何度言っても漢字の練習をしてこないんだ」五月のさわやかな朝の空気を突き破って大声が響く。四月から担任して一ヵ月半。こんなことの繰り返しであった。授業中は落ち着きがなく、休み時間なども、廊下を走っては注意され、花壇づくりの時は、友達に土をぶつけて泣かしたり……。もちろん宿題なんてほとんどしてこなかった。そのため、毎朝のように私の「こらっ!」であった。効果の上がらない無力感、焦り、むなしさばかりの日々を送っていた。
六月のある日、授業参観日を迎えた。教室の後ろには沢山のお母さんたちがにこやかに参観している。算数の授業が進むにつれて、N君の手が挙がり始めた。『あれ?今日はいつもと違うぞ』と、余り気に留めずにいたが、いよいよ、たしかめの問題になって、「はい。この問題をしてみたい人」と、言ったら、さっとN君の手が挙がった。私はちょっと心配だったが、「よし、やってみなさい」と指名した。黒板に書いたものは、決して滑らかなものではなかったが、みごとに正解。大きな丸をもらい、まつ赤な顔をして席に着いた。期せずして級友たちの「N君すごいねえ」の声。私も「N君、よかったな」にN君も「はい」思わず『こんないい顔にこれから何度出会えるだろうか』と心をよぎった。
さて、参観後の個人懇談でN君の母親と話した内容は、次のようなことであった。四、五月ごろ、さっぱり宿題をする気がなかったこと、いたずらで友だちに迷惑をかけていたことなどで困っていて、授業参観があるのでせめて明日だけでもと思い、無理に勉強させたとのことであった。私は話の最後を、「お母さん、帰ったらN君をうんと褒めてあげて下さい。私も明日学校で褒めますから」という言葉で結んだ。
次の日の朝、「先生!お早うございます」という元気な、自信に満ちたN君の声に、『ようし、このぶんなら伸びるぞ』と確信しながら、「おばよう!昨日は、えらかったぞ」と、声を返した。
(原町市立太田小学校教諭)
尺 度
鈴木 賓
最近、子供たちの、地域における各種スポーツ活動が盛んになって、新聞やテレビでもその戦績が報道されたり、試合の様子が中継放送されたりするようになってきた。
つい先日、梅雨晴れの日曜日、自宅すぐ裏のN小学校の校庭から、子供たちのにぎやかなかけ声が聞こえてきた。学校は休みのはずなのに、と思って窓外へ目をやると、プロ野球の選手も顔負けするような色とりどりのユニホームを身につけたチビッ子選手たちが走り回っている。少年ソフトボールの大会のようだ。
試合もたけなわと思われるころ、つい校庭に足を運んだ。自分の背丈より高い速球につられて三振する打者。ライトヘの凡フライ、と思ったとたん前進し過ぎて頭上を越され、長打にしてしまう外野手。なんとも歯がゆい思いの連続である。サングラスをかけた監督さんらしき人に、かなり厳しい叱声を浴びせられていた。
不動の姿勢で、流れる汗をぬぐおうともせず、「ハイ」、「ハイ」、と聞いている子。首うなだれて消え入りそうにしている子。ちょっとかわいそうだな、という気もした。
ふと、自分の若いころの映像がダブって写し出された。
教員になりたてで担任は六年生。秋の体育行事として各種の学級対抗試合があり、種目優勝と、総合優勝をめざし、土曜も日曜もなく夕方遅くまで猛練習を積んだものだ。
女子の種目にソフトボールがあり、これがまたルールの解説から始まって、キャッチボールのしかた、バットの振り方、守備位置、走塁等々、一から教えなければならない状態で、なかなか覚えてくれないし、身につかない。男子の種目はポートボールで、子供たちにはあまりなじみがない。
一朝一夕で上達するはずもないのに試合が迫ってくるあせりや、勝たせたい、いや勝ちたいそれのみで、ずいぶんば声や暴言を吐いたものだ。試合中観戦している他のクラスの子供など、「三組の先生はオッカネエなあ」なんてささやいているのが耳に入ってくるほどであった。
あまり得意でなかった選手の中には、失敗して責められる度に心を痛めた者もいたのであろうが、それでも、練習には、仮病を使ったり、「用事があるから」などと口実を作ったりして、脱落する者が一人もなく集まってきたのは、図らずも、何か別の面でカバーするところがあったのかも知れない。
目前で、しょげ返っている子を見て、「さあ、元気を出して次回はがんばれ」と心で声を掛けながら、監督さんも、子供によって励まし方を工夫すればいいのになどと、昔の自分を振り返りながら見ていた。
子供は、心・技・体いずれも未熟なもの。尺度はいつもそこに置きたい。
(いわき市立湯本第二小学校教頭)