教育福島0105号(1985年(S60)10月)-022page

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小さな心づかいを何気なくやっている姿が見られ、自信を持って対応したり、相手の気持ちをくみとろうとしたりする姿が数多く見られるよい交流になってきた。

(二) 養護学校教師の感想(M先生)

波一つない水面に、ポンと石を投じた如く、入田付小と本校の子どもの手をつないだ輪が幾重にも広がっていくように、子どもたちの姿が現実に私の目に映っているのは、私だけではない。

子どもたちは、次の交流学習はいつなのか、どんなことを一緒にやるのかと彼らなりに想像し期待に目を欄々と輝かせながら交流ごとに私に尋ねた。

しかし、いざ出発の段になると、「今日も入田付のみんなはぼくと遊んでくれるかな?」と不安そうな顔つきで話す子もいた。そんな子どもに対して、自信をもって「大丈夫、遊んでくれるよ」と答えることができた。

それは、両者の事前打ち合わせがなされ、綿密な計画のもとに実施され、充実した交流学習が積み重ねられてきたからである。このような交流の輪が一時的なものでなく、いつも水面に石が投じられ、しっかりとした人間の輪として続いてくれることを切望したい。日保護者の感想(学校新聞より)

「人間、誰しも平等である」皆よく知っているはずなのに、つい忘れがちな私たち。子どもたちの方がずっとよく知っているような気がします。養護学校との交流で子どもたちは、すばらしい友だちを見つけたようで嬉しく思います。……(中略)……最初のころは一人一人の欠点ばかり見ていたようですが、何度かの交流で、長所も見つけられ他人への思いやりや、痛みをわかってあげようとする気持ちが育ったこと、とても嬉しく思います。……(中略)……私たち大人も子どもたちの暖かい心を育てるだけでなく「思いやり、いたわりの心」を社会生活の中で生かしていきたいと思います。

 

四、まとめと今後の課題

 

自分勝手でなく思いやりのある愛情豊かな子どもの育成は、大人たちが子どもの鏡となり働きかける地域ぐるみの活動が望まれる。教師が変わり、親が変わり、地域が変われば子どもも変わっていく。交流教育は健常児にとって人として成長していく過程で、必要不可欠な生活経験の一つの場であると思う。

1)交流内容は、両校児童・生徒にとって興味のあるものでなければならない。今後も検討する必要がある。

2)部分交流を中心としながらも、全体交流を進めることを考えたい。

3)部分交流でのグループの組み合わせは、学年の差や障害の程度を考慮にいれて作りたい。また、交流のむずかしい児童との交流をどう進めたらよいか。今後研究を積み上げたい。

4)二年間の交流を基盤として、更に交流を継続発展していくために、交流内容の精選と、教育課程の位置づけを工夫したい。

 

共に生きる交流教育

富岡町立富岡第一中津校

 

本校は、昭和五十八、五十九年度の二年間、「心身障害児理解推進校」の文部省指定を受け、福島県立富岡養護学校を交流相手校として研究を進めてきた。

「心身障害児教育では、障害を克服して積極的に社会に参加していく能力を育てることであるが、同時に、一般社会の人々が障害児について理解と認識を深めることも大切である」という趣旨をふまえ、本校生徒と養護学校の生徒との人間的なふれ合いの場を通して、心身障害児を正しく理解させるために、全職員一体となって取り組んできた。

 

一、研究主題の設定

 

(一) 研究主題

「障害者を正しく理解し、共に生き、いつくしみ合う生徒を育成するには、どうすればよいか」

 

(二) 研究主題設定の理由

本校生徒間には、総じて好ましい人間関係が確立されているが、一部には能力の劣る者や恵まれない者に進んで援助の手をさしのべたり、公共のために積極的に働くことを好まない生徒も見られる。

また、全国的にも、「弱い者いじめ」の風潮が高まっている昨今、本校教育目標の一つである「思いやりの心」をいっそう涵養することが必要であり、障害児が自己の障害を克服して、積極的に社会参加ができるよう、本校生徒にあたたかい思いやりの心と進んで協力・援助しようとする心を育てることが課題であると考え、本主題を設定し研究を推進した。

 

三十一ページへ続く

 

たなばた祭りでの交流

たなばた祭りでの交流

 

 

 


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