教育福島0105号(1985年(S60)10月)-023page

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随想 ずいそう

 

学級花壇に思う

 

学級花壇に思う

橋本吉雄

 

りとは限らない。見る人に心がなければ、花の美しさを知ることはできない。

 

花はもともと美しいものばかりとは限らない。見る人に心がなければ、花の美しさを知ることはできない。

 

二学期が始まった翌日、「校長先生!これ、花壇のトマトです。先生方で食べてください」とA男・B男が元気に職員室に入ってきた。

 

昨年、辞令を交付され、あいさつに伺ったとき、校長は、前年度のすさんでいた頃の様子と、それにどう対処してきたかを話された。そして「今年度(五十九年度)は、学習指導と情操面の教育に力点を置いた経営をしたい」と語られた。

さて、昨年の四月、生徒の生活態度に、すさぶ余韻が残る中で、花壇の整備にとりかかったが、ほとんどは教師中心の活動であった。

やがて、開花した百日草は、一本とて折られることもなく、すくすく育っていったが、これらの現象を無気力、無関心、無感動のなせる業かと疑ったことでもあった。

しかし、校長は、生徒集会、父兄会、方部懇談会等、機会ある毎に情操豊かな生徒としての賞賛と教師への示唆、指針を与えてくれた。

今年度は、学級花壇の整備と充実を図ることと、具体的に花壇コンクールを実施する計画も立てられた。

もちろん、当初は、先生方が先頭に立っていたことは言うまでもないが、作業や美化が進むにつれて、いつの間にか生徒たち中心の動きに変わっていった。トマトの苗を植える学級など、学級の独自性が発揮された個性豊かな花壇が誕生した。

「コンクールは七月十八日」

それを目指しての各学級の取り組みと意気込みには、目を見張るものがあった。

特に入学当時から問題生徒としてあげられていた三年生のA・B・C男等は、毎朝、水をやったり除草や土の手入れをしたり、一生懸命であった。

その結果、例年にない猛暑に見舞われたこの夏休みにも、一日として葉のなえた姿を見ることはなかった。

窓辺に咲き誇る花壇の草花の清らかな美しさは、教室に学ぶ生徒たちの瞳に映え、苦難を乗りこえて育って行く若者たちの姿をあらわしているかのようである。

ここまでこれたのも、百日草が一本も折れていなかったことにいち早く気づかれ、常に保護者や生徒に賛辞を送るとともに、自ら太陽となったり、猛暑日の一滴の水となるようなリーダーシップや人間性を持った校長の経営方針の賜物であると、深く敬服しているところである。

 

最後に、秋の花壇コンクールのために、図書館で真剣に参考書を調べている三人の男子生徒の姿を発見したことを付け加えて筆を置くことにする。

(大越町立大越中学校教諭)

 

歩み

 

歩み

目黒永子

 

しかし退職直後は、複雑な気持ちと、雑用が多くおちつかない日がつづいた。

 

昭和五十七年三月。教職生活三十年という人生計画も、子どもたちや、多くの人々に支えられ無事終わることができた。そして、翌四月より在宅主婦となった。しかし退職直後は、複雑な気持ちと、雑用が多くおちつかない日がつづいた。

 

まず、家事整理と大掃除をする。また、雪消えと共に、体力保持を考え、早朝小鳥のさえずりを合図にラジオを肩にかけ、只見川の堤防を田子倉ダムに向って軽快に歩く。六時半から所かまわずラジオ体操をする。終わると急ぎ足で帰宅し、朝掃除、洗濯、朝食準備、朝食。主人出勤となる。日中は専ら主婦業である。数か月後には、多少時間と心のゆとりができて、毎日の生活に何か物足りなさを感ずるようになってきた。

 

 

 


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