教育福島0105号(1985年(S60)10月)-026page

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るように思います。また、尾瀬沼や尾瀬ケ原の水芭蕉やコバイケイソウも、木道の傍から「よくきらった」と声をかけてくれます。

そして秋、尾瀬全山が紅葉に映える頃、走り去る大型バスに向い「またきられ」と子どもも大人も一様に声をかけます。春・夏・秋とかけ続けた「よくきらった」の言葉に対するお礼の対句なのです。この「またきられ」の言葉とともに短い秋は過ぎ去り村人は冬じたくに精を出すのです。

 

私はこの地に勤務して三年、同じ光景を目のあたりにしていると、「よくきらった」「またきられ」と書かれた文字や言葉に遠き源平合戦の盛衰を思うとともに、辺境の地に誇りと連帯を持って生き続けた先人の偉大な姿を見ることができます。また、檜枝岐を訪れた人は、必ずもう一度やって来るという話を聞きました。このことは、尾瀬の持つ美しい自然にひきつけられた心もさることながら、村人の連帯感の強さを象徴する言葉が、訪れた人の心に生きているからではないでしょうか。

今、教育現場では、「心の教育」が求められています。「よくきらった」「またきられ」は、美しい自然と村人の心根が調和した檜枝岐の言葉です。私はこの言葉に象徴される心を求め、心を知る教師になるようにと願う今日この頃です。

(檜枝岐村立檜枝岐小学校教諭)

 

六人の男の子

小平 佳子

 

運ぶ私の手元をもどかしそうにみつめるキラキラしたいくつものひとみ……。

 

「先生砂糖ちょうだい!!」元気のいい声とともにバタバタと五・六人の子どもたちが野原から駆けてきた。Aの手には黒びかりするクワガタが手足をバタつかせていた。「早く砂糖水くれないと死んじまうよ」とHも本気だ。素早いSはままごとの皿を私にさし出す。砂糖つぼに運ぶ私の手元をもどかしそうにみつめるキラキラしたいくつものひとみ……。

 

昨年の四月、ほとんどの子どもが不安そうに何となく落ち着かず、緊張した面もちで入園してきた。男児六名、女児十三名と男児が少なく、これは静かなクラスになるぞと思ったのに、六名の男児の何とバラエティに豊み、活動力にあふれていたことか……。 「かごめかごめかごの中の−」と突然「ワーツ」と泣き声、急いで声のするほうに目を向けるとMとTが取っ組み合いのけんかである。なんのことはない、ブロックの取り合いだったりして……。しかしちょっと目を離すとまた別の男児たちがキックやパンチの応酬を強烈にするのでその都度注意や約束をしたりと片時も油断ができなかった。また、恥ずかしがり屋で仲間に誘っても入らず、ちょっかいや、いたずらをする子もいたりと、女児を困らせたりしながらも六名の男児たちは少しずつ園生活の約束を身につけながら成長しつつあった。

クラス全員が協力して発表会を終えた時、なんとなくみんなの顔に自信が漂っているのをみた。ことに男児は、自分たち六名でやった遊戯がお気に入りで、日に何度となくカセットを操作しては音楽に聞き入り、身体表現も繰り返しやっていた。女児も仲間に入り発表会ごっこがしばらく続いた。時たまパンチやキックも登場したが、以前のように向こう見ずでは無くなってきていた。

降りしきる雪にもめげず登園してくる子どもたちの顔には自信と安定感があふれるようになっていた。新入園児を招いて過ごした招待会の後日、「早く○ちゃんと遊びたいね」「手つないで歩いてくるよ」と年長組になるのを指折り数えて待っていた。

 

うららかな春の日、ついこの間まで年少組だったとは思えないほどすっかり大人び、みんな余裕をもって入園式に参加していた。ふと目をやれば、ついこの間まで泣き虫だったM子が、泣きべそをかいている年少児のKの手を取りしっかりつないでやっている。あんなに落ち付きの無かったAが手をひざに置き、園長先生の話をきちんと聞いている。その横で、いたずら好きのIも近所のCの小さな肩に手を掛けて面倒をみている…。今まで考えてもみなかった子どもたちの姿を目の当りにして、何か言いしれない感動が込み上げてきた。一年間、みんなでいろんなことを学んできたかいがあったのだと。「先生!!クワガタ、砂糖水を飲んでるよ」Aのはずんだ声にふと我に返った。

(会津坂下町立片門幼稚園教諭)

 

楽しいお遊戯の発表会

楽しいお遊戯の発表会

 

 

 


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