教育福島0105号(1985年(S60)10月)-029page
「国際理解」に思う
宗川 孝
「僕は初めこの企画をあまり深く考えてはいませんでした。ただの旅行と同じように考えていたのです。ところが、実際に行ってみると、そんなものではありませんでした。むしろ深く考えなくてはならないものでした。中国は日本とは違い、何事もチマチマと細かくはなく、建物も、自然も、人の心も大きくて、日本にはないそれらの大きなものを見るたびに、中国に来てよかったなあ、と感動したものでした」(以下略)
これは、今年の春休みに中国に連れていった私の学級の児童三人中の一人の感想文の冒頭の部分です。中国旅行は国内旅行の延長ではないこと、中国人は日本人と同じではないことに気づき、感動しています。この感動こそ国際理解へのスタートとも言えます。
私たちが訪問した無錫師範学校附属小学校の校長先生は「この校舎は、長い間あなたたちの日本軍により占領され、苦しみを受けた所です。でも、今、私たちは過去を忘れ、日本との交流を通じて、将来にわたって友好を決意したのです」と話してくださいました。私は、このお話に大きな衝撃を受けました。
その後、同小教室で、双方の学校生活の紹介や書画作品の交換をしたり、校庭でボール運動をしたりしました。夜は、会場をホテルに移し、夕食を共にしながら、歌やゲームの交換、折り紙の教え合いなどの楽しい交歓会をもち、すっかり仲よしになり、すばらしい交流となったのです。
また、本校ユネスコクラブ姉妹校の清華大学附属小を訪問し、学校あげての熱烈歓迎に胸を熱くしました。学校紹介、手紙や書画作品、プレゼントの交換、毛筆書写の共同学習等、短時間であわただしくはありましたが、充実した交流を展開しました。姉妹校としての友情を深め合ったことが、固い握手の感覚とともに、今も生き生きとよみがえってきます。
子どもたちは、万里の長城、世界一の古運河の見学や船下りの体験などによって、大陸の広さ、文明や歴史の重み、人間性のスケールの大きさに感動を深めたようでした。そしてさらに、無錫・北京両市での子どもたちとの交流によって、中国人の心の素朴さ、誠実さ、優しさにふれ、より大きな感動を心に刻んだようでした。
相手の立場を理解し、自分と異なる意見を尊重する心を育成することや、体験的・実践的活動を通して、感動を積み重ねることが、そのまま、国際理解教育につながるのではないかと、つくづく感じさせられた中国訪間でもありました。
(福島市立蓬莱小学校教諭)
無錫師範学校附属小学校との友好交流
天使たちに囲まれて
大竹 正紀
私は、今、百九十四人の天使たちに囲まれて生活しています。天使たちは、妙に大人っぽく見えるかと思うと、急に幼い姿を見せたり、時には私を悩ませたりします。
私が教師生活の第一歩を踏み出した上遠野中学校は、湯本と石川を結ぶ、通称「いわき石川街道」沿いにある小さな学校です。赴任校を知らせるはがきを受け取ったとき、「上遠野」の文字にとても親しみを覚えました。私の尊敬する恩師の苗字と同じだったのです。
翌日、さっそくどんな中学校なのか訪ねてみました。急な坂のむこうにあった校舎は、ちょうど夕暮れの中、闇に包まれた山を背にもつ木造平屋の小さな校舎でした。「あーっ」そこに見たイメージは、私の通った小学校に重