教育福島0106号(1985年(S60)11月)-007page

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いわき交響楽団の指揮をする筆者

いわき交響楽団の指揮をする筆者

 

提言その教育について感じるところを述べてみたい。このジャンルにおいても、日本人の持つ自己に対する謙虚さとその尊敬すべき勤勉さは成功をもたらした。最近のヨーロッパにおける数々のコンクール入賞者はその例であろう。しかし、私が日本に来て知る範囲では、彼らとそれを育てるべき母国における音楽教育全般との間に密接な関係は見当たらない。主な理由のひとつとして、現在必要とされている音楽教育の為の適切なメソードが確立していない点があげられると思う。音楽における師弟関係のあり方はどうか(武士道精神のおもかげは強すぎ?)。生徒各々の個性をのばす教育が行われているか。技術向上の為の運動的な訓練にかたよらないであろうか。広い知識やそれ以外の興味に欠けた専門分野のみの追求に終わっていないであろうか(没個性的な勤勉生は芸術においてそれ程興味深くない)。

ともあれ、こうした教育の結果にもかかわらず才能豊かな人はその環境がどうであれ、みずからの才能を開花させヨーロッパで成功と名声を得ている。しかし彼らは大半が祖国日本へもどらずに、その地に留まる人が多い。何故。日本には彼らを受け入れる社会が無い。

特に現代の青少年層に見られる文化の貧困さ、美に対する感受性の欠落は日本に限らず、そういった精神的文化の低下は、これまで発展した豊富な物質的資源を誤った方向へ導き、それは将来、国際間の無理解や紛争にまで発展しかねない危惧をはらんでいよう。

 

より調和のとれた人間形成のために、文化・芸術の要素は欠かせないであろう。それによって私たちは自分と人間社会、そして自分と自然世界とよりわかり合うことができるであろう。いかなる頭脳的あるいは肉体的な力にも優る愛情の力を私たちは芸術を通して育み、それは私たちに必ず幸福と平和を伝え、私たちが生きる存在感をより深めるであろうと考えている。

 

提言

 

 

 


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